Go Kenji

郷 健治 教授

所属
外国語学部
英語英文学科
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専門分野

イギリス演劇、シェイクスピア

キーワード

Profile

出身地/大阪(0歳から10歳まで)、そして、名古屋(高校卒業まで)
家族構成/妻と息子と娘2人の5人家族
趣味/芝居を観ること。温泉に浸かってボーっとすること。水泳(ほぼ毎日泳いでます)
子供の頃の夢/世界中を旅してみたかった
愛読書/シェイクスピアの戯曲。漱石の作品(『草枕』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『倫敦塔』『永日小品』がとくに好きで繰り返し読んでいます)。ルソーの『告白』(英訳版)。そして、『新約聖書』
好きな映画/「The Great Escape」「Lawrence of Arabia」「Shakespeare in Love」「Love Actually」「The King's Speech」「Shall weダンス?」など
尊敬する人/アンドラシュ・ハモーリとマイケル・クック(アメリカの大学院の恩師)
好きな食べ物/アラブ料理のホンモスが大好物。メキシコ料理のグワカモーレも。そして、七輪で焼いた秋のサンマ、寿司、納豆。異国で暮らしていると無性に恋しくなる駅の立ち食い蕎麦
好きな国/これまでに暮らしたことのある国 ―日本・エジプト(2年)・アメリカ(6年)・イギリス(6年)― はそれぞれまったくの別世界ですが、どの国も好きです

ヤル気ひとつで、神大が最高! と思えるような学生生活が送れるはずです。

ぼく自身の学生時代は?

この「神大の先生」を閲覧する神大生や高校生のみなさんは、この神大の先生はどんな人だろう?と思ってこのウェブページをご覧になると思います。ですから、(日頃の授業では自分自身のことはなかなか話す機会がありませんから)通常の「神大の先生」とは少し趣向を変えて、ぼくはぼく自身のこと、とくに、自分がどんな学生時代を過ごしてシェイクスピア研究者となったのかをお話したいと思います。紆余曲折に満ちた人生なので、少し話が長くなりそうですが、大学に入ったもののまだ将来何がしたいかまったく五里霧中、というみなさんの参考になるかもしれません。
生まれ育ちは大阪です。子供時代はバリバリの大阪弁でした。小4の秋に名古屋へ引っ越しました。子供の頃は、スポーツ少年(野球・サッカー)で、本が好きで、濫読しました。出身高校は愛知県立旭丘高校です。部活は硬式テニス部でした。明治末から大正期にかけて、日本人として初めて、一人でシェイクスピア全作品を訳す(全40巻)という偉業を達成したシェイクスピア学者の大先輩である坪内逍遥は、ぼくの母校旭丘の前身である官立愛知英語學校出身です。つまり、逍遥はぼくの母校の大先輩です、というのがシェイクスピア学者としてのぼくのいちばんの自慢の種です(笑)。
大学生となって上京しました。高校時代に数学が得意だったので入学時は理系だったのですが、入学した直後に理系の科目には一切関心がないことに気づき(笑)、勉強する気は限りなくゼロでした。毎日毎日、体育会の硬式テニス部での練習に明け暮れました。読書も勉強もほとんどせず、試験はぜんぶ一夜漬けで、何のために大学へ進学したのかよくわからないような学生生活でした。
ところが、テニスで右手首の骨を痛めてしまい、これがどうしても全快せず、部活がつづけられなくなり、2年の終わりに退部を余儀なくされました。大きな挫折でした。突然、路頭に迷った気分で、どうしていいのかわかりませんでした。でも、これがけっきょく幸いして、勉強してやろう!という気になったのです。まさに、人生万事「塞翁が馬」です。同時に、理系から文系に転向して、アジアの地域研究を専攻できることになりました。当時の世界情勢からアラブ・イスラム世界に関心をもち、3年に進学する頃には本気で勉強したいと思うようになっていました。

エジプトへの留学

ぼくは大学へ入学するまで海外へは一度も出たことがなかったのですが、小田実(おだまこと)の『何でも見てやろう』という異文化体験記の古典的なベストセラーを大学入学直後に生協書籍部で購入して読み、ぜったい外国に行くぞ!と決意していました。(ちなみに、この本は今でも講談社文庫で簡単に手に入りますから、みなさんも一読してみてください。外国へ行こう!という勇気が湧いてくるイチオシ本です)
なんとかしてイスラム世界へ行きたくて、サウジアラビアのプラント建設現場のアルバイトに応募しました。ところが、けっきょく工期が遅れてしまい、この話がうまくいかず、計画変更して半年間毎晩渋谷の道玄坂にあった古いバーでバーテンをやって資金をため、3年の秋にエジプト政府奨学生としてエジプトのカイロ大学へ留学しました。
「政府奨学生」といっても貧しい国エジプトですから、月に30ドルほどの奨学金です。外国人の誰も住まない、ゴミの収集もない首都カイロの貧しい地区にエジプト人2人といっしょに月60ドルで暮らして旅行する資金を残しました(ちなみに家賃は日本の外語大生の留学生さんたちの家賃のちょうど十分の一でした)。カイロで2年にわたって大学に通ったほか、留学期間中計8か月ほどは、チュニジア・アルジェリア・モロッコ・ヨーロッパ・パレスチナ・イスラエル・ヨルダン・シリア・トルコ・イラン・パキスタンを旅して帰国しました。
帰国する頃には、顔を見られなければどこでもエジプト人で通るほどアラビア語が達者でした。そのためにヨルダンのアカバという港町をうろうろしているときに警察に怪しまれ、路上での職務質問に流暢なアラビア語で答えたのがアダとなり、ただの日本人留学生だと言っても信じてもらえず、いきなり逮捕され、手錠をはめられて首都アンマンに護送され、丸1週間留置所にブチ込まれて取り調べられたあげくのはてに隣国シリアに国外追放されました(笑)。
また、帰国の途上、イランの首都テヘランの貧民ホテル街に泊まっているときに、200人以上が犠牲になった(反政府勢力による)大爆弾テロ事件に巻き込まれ、わずか数分、間一髪の差で爆死をまぬがれる、というような恐ろしい目にも会いました。
こうして、出発前はまったくの世間知らずの無知な学生でしたが、日本の外の「世界」を自分の目で見て、体験して、2年後に帰国した時には別人になっていたと思います。

アメリカ留学からシェイクスピア研究へ

留学のため2年遅れて大学を卒業したあと、大学院へ進学し、運よく奨学金がもらえたので、アメリカ東部の大学の中近東研究学部大学院博士課程へ再び留学しました。当初は、現代アラブ世界に関心があったのですが、アメリカでアンドラシュ・ハモーリとマイケル・クックという二人の心底敬愛できるすばらしい恩師に出会い、古典アラビア文学と古典イスラム学を学びました。(アンドラシュはアラビア古典文学、マイケルはイスラム研究のそれぞれ世界的な権威です)
日本では考えられない話ですが、指導教官だったアンドラシュには、毎週金曜日の2時から5時までみっちり3時間、学期中は研究室で、休暇中は先生のご自宅で、単位とはまったく無関係に、古いアラビアの(ジャーヒリーヤの)詩を読む、という個人指導を丸3年間も!してもらいました。語学の天才であるアンドラシュに難解なアラビア語の詩のテキストの読み方をマン・ツー・マンで教えてもらったという得難い経験が、のちにシェイクスピアの緻密な詩的言語を読む際のぼくの研究者としてのかけがえのない基礎力になりました。マイケルには真の学者の探究心とはいかなるものかを直に教えてもらいました。
また、アメリカでは、2年間、初級・中級アラビア語の講師として週に2日、学部の授業を担当しました。アラビア語を習得しようというアラブ系アメリカ人も混じるアメリカの大学の授業で日本人大学院生が英語でアラビア語を教える、というのはちょっとあり得ない話だと思われると思いますが、じつはこれがけっこうアメリカ人の学生たちにはウケたんです(笑)。
さて、アメリカでの留学中、英語力を鍛えるために毎晩、英文学の小説のペーパーバックを読むのが習慣になり、次第にこれが毎日の生活の大きな愉しみになって、英文学の魅力にどんどんはまっていきました。そして、留学最後の年にシェイクスピアの『ソネット』詩集を読み終えたとき、古典アラビア語の詩とはまったく異質なシェイクスピアの精緻な詩的言語の力に心底驚いて、しばらく迷いに迷った末、思い切って英文学研究に転向することにしたのです。ちょうど30歳でした。この無謀とも思える決断の背景には、アメリカでは30歳代で人生を変えて大学院へ入り直してくる人が珍しくない、という事情もありました。
英文学研究への転向を決意して帰国したあと、母校の文学部英語英文学科の大学院修士課程に入り直して、本格的にシェイクスピア研究を始めました。修士課程を終えると、指導教官の推薦のおかげで、イギリスの大学院博士課程へすぐに研究留学させてもらえるという、願ってもない条件で都内の私立大学の英文学科の専任教員となり、6年間イギリスへ留学させてもらいました。イギリス滞在中は毎週2本とノルマを決めて、6年で600公演近く、シェイクスピア劇を中心に現代イギリス演劇の舞台を飽きるほど観て帰国しました。

シェイクスピア研究者として

ぼくの専門は英文学、とくに、シェイクスピア研究です。英語英文学科のゼミナール(「専門研究」)では、シェイクスピアの劇作品のテキストを翻訳と原文の英語で読み、シェイクスピアの原作を通して英語を学び、その作品の意味を考察することによってイギリス(そして、ヨーロッパ)の文化も学びます。たとえば、『ヴェニスの商人』という作品では、たった一人のユダヤ人(シャイロック)を描くことにより、「ユダヤ人問題」というひじょうに厄介なヨーロッパ社会の問題の本質を余すところなくズバリと描いてしまう!というまさに神業のようなことができたのが、このイギリスの生んだ不滅の劇作家ウィリアム・シェイクスピアです。人類の世界文化遺産ともいえるシェイクスピアの名作の奥の深い「異文化」の世界を日々探究し、その魅力を授業でみなさんに伝えられる、ということに大きな喜びを感じています。

神大のすばらしさ

みなさん、神奈川大学はいろいろな意味でじつにすばらしい大学です。90年近い大学の歴史も、組織も、運営も、教職員も、施設も、まさに一流大学です。ぼくの教えている英語英文学科の学生のみなさんは、学ぶ意欲の旺盛な人、ヤル気のある人が多く、教員としてすごく教え甲斐があります。横浜という土地柄も、便利な東急東横線沿線にあるという立地条件も、美味しいお店がいっぱいある大学近くのレトロな白楽の商店街も、すばらしいと思います。ですから、神大生のみなさんは、ヤル気ひとつで、自分の大学が最高!と胸を張って思えるような、充実した学生生活が送れるはずです。そして、みなさん、大学時代には、何事であれ、勇気を出して、自分の知らない世界を探究してみる、というチャレンジ精神と好奇心を大切にしてください。ぼくは少しでもそんな神大生のみなさんの力になりたいと思っています。

Photos

  • 留学当時のカイロの自宅アパート前の光景。ゴミの収集がなく、ぼくの部屋のすぐ隣の廃屋が近隣のゴミ捨て場でした。元旦の朝、ギザの大ピラミッドの頂上に登って初日の出を拝んで帰宅すると、貧しい少女が一人このゴミ捨て場で靴を拾っていました

  • 2013年5月、アンドラシュ(左から2人目)の退官記念晩餐会での記念写真。これはマイケル(右から5人目)の自宅でのサプライズ・パーティーで、みんなでアンドラシュをあっと驚かせました。じつに20余年ぶりの恩師二人との感動の再会でした

  • 1582年刊行のイングランド国教会の『説教集』。イギリスで博士論文執筆時に、シェイクスピアがこの古い教会の説教集の説教を下敷きにして作品を書いていたという事実に気づき、以来、次々に面白い事実を発見しています

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