2021.3

神大研究者

松浦 智子 先生

中国通俗文学という名の
サブカルに魅せられて

日本でも多くの読者を持つ『三国志』や『水滸伝』。
明代に多く出版されたそんな通俗文学に隠された
当時の人々の声なき声を松浦は丹念に拾い続ける。
“ものがたり”は常に人を揺り動かす力を備えていたのだから、と。

松浦 智子 先生

Satoko Matsuura

外国語学部 中国語学科
中国古典文学、中国通俗文学
※2021年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01社会への大きな影響力を持つサブカル

研究室の書棚にズラリと並ぶ『キングダム』の単行本。秦の始皇帝と将軍・李信を描くこの大人気劇画を松浦は気軽に学生に貸し出す。
「マンガはめちゃくちゃ好きですね(笑)。映画も小説も好きです。“ものがたり” というものがないと生きていけない人間なんです」

松浦の研究テーマは宋・元・明・清の中国通俗文学だ。それはその時代の中国に生きた、松浦と同じように“ものがたり” の存在なくしてはいられなかった無名の人々の心そのものでもある。だからなのか、松浦は自身の扱うテーマを表すのに、より広く現代的な「サブカル」という用語を使う。
「勉強に近い文学よりは勉強から少し遠い文学、硬めよりはやわらかめの文学ということですが、それを望む人がいたからこそ、それが出てきた。存在するものには存在するだけの理由、意味があるのですね。サブカルは想像以上に社会への大きな影響力を備えているんです」

中国通俗文学は『三国志』『西遊記』『水滸伝』などが日本で有名だが、その作品の数は限りない。
「もともと中国の娯楽はお芝居や講談といった一回性のパフォーマンスが出発点で、そういった芸能が宋の時代に一気に花開くんです。そこから何百年もかけてさまざまな物語が蓄積されていき、明の時代の1500年代に出版業が盛んになると、文字として残されるようになりました。ですから、『水滸伝』なども最初から整合性の取れた一つの物語だったのではなく、口頭芸能で演じられてきたさまざまな短い話を寄せ集め、再編集したものなのですね」
口頭芸能は客の反応を見ながら台本を変えていく。それは、現代のサブカルである少年ジャンプやNetfl ixが読者や視聴者の反応を見ながらストーリーを変えていくようなものだと松浦は言う。それゆえに、通俗文学からは当時の民衆がどんな話を望んでいたのかが見えてくる。

Chapter #02サブカルの裏にあるマグマのような何か

「翻訳に携わった『楊家将演義』は北宋の武将のお話です。私は恋愛ものより、やるかやられるかのチャンバラが好きなんですが(笑)、明の時代の人は宋の時代をサブカルでよく取り上げます。それは漢族としてのアイデンティティと結びついているのかもしれません。自分たちは宋の時代と同じ民族的な正当性を持っているんだと明の時代の人は感じていたのではないか。もともと、“民族” の概念があまりなかった中国ですが、明の後半のこの時期、ナショナリズムに似たものが生まれていったのかもしれない。そういう社会的意識の表出を読み取ることもできるんです」

明の時代には北方から女真が攻め入ってきたが、宋の時代にも北方からの女真やモンゴルの侵攻という同じような出来事があった。宋の武人が敵を蹴散らすという英雄譚が好まれ、芝居や講談などでたくさん演じられたのは、異民族から攻められた明の社会の動きと連動しているのだとも言う。
「質のいい娯楽は大衆を動かすには一番便利な道具ですから、サブカルはプロパガンダにも使われたりしたと思います」

影絵芝居で使用される人形。今で言うならカラーのアニメみたいなものとして楽しまれた。これは『三国志』の「桃園の誓い」の場面。

その影響は日本の幕末の志士たちにも見ることができるという。
「明の時代のサブカルに多く取り上げられた武将の岳飛は、吉田松陰や西郷隆盛、橋本左内といった人たちに愛国の志士のシンボルとして扱われていました。オレたちもああいう武将のように死ぬんだと」
そんな松浦の視点を社会学的だと評する人もいる。
「中高のときから社会の授業が大好きでしたし、社会学的なことにはもともと興味がありました。文学で言えば、作品を鑑賞することよりも、なぜその作品が出てきたのかというほうに興味がわくんです。どの文明でも文字を使えるのは支配階級の男性でした。一方、文字を使えないのは女性や庶民。そんな声なき人の声をどうしたら拾えるだろうか。それがサブカルに引かれる理由なんです」
つまりサブカルの「文字」には、その「文字」を使えなかった人々の欲望や情念や希望や夢が、つまり「生」そのものが刻印されているということなのだ。

「知識階級の人々が創り、好んだ文学作品も大事ですが、個人的には物足りなさを覚えます。時代の裏側にはマグマのようなもの、人々の圧倒的なエネルギーが存在したはずです。ところが、そこがあまり研究されてこなかった。でも、聞こえにくい声ではあるけれど、丹念に拾い続ければ、いつかきっとはっきり見えてくるんじゃないかと思うんです」

Chapter #03明代の宮廷で読まれたマンガ

中国国内の石碑の調査も松浦の大事な研究の一つだ。
「中国のお墓の石碑には家系図が描かれています。その中には、我が家は英雄的な武将の末裔だとする、いわば噓の家系図が含まれていることがあります。オレはあの英雄の子孫だぞと、通俗文学に出てくる家系図をそのまま自分の家の家系図にしたりするんですね。コミカルですが、昔は文芸と現実の境界線はあいまいでしたし、先祖が強い武将なら守ってもらえるという、力の信仰のようなものがあったのだと思います」
感動をもたらす物語は人々の自己を支えるモチベーションになると松浦は言う。
「“ものがたり” という心や感情を揺さぶるものに人は頼ってきたのだと思います。危機の際に人は何にすがるのか。どうすれば自分のアイデンティティを満足させられる自己を確立できるのか。そんな視点から、当時の社会の中に入り込み、人々にどういう影響をサブカルは与えていたのかを知りたいのですね」

これから力を入れたいのは「視覚文芸」だという。絵入りの出版物のことで、いわばマンガである。明の時代、宮廷の中で多く読まれ、政治に少なからぬ影響を与えたのではという。
「『キングダム』じゃないですけど、中身もフルカラーで超サブカルなんですが、宮廷内の宦官や女性、子どもたち、中・下級の識字層に主に読まれていました。先ほど挙げた岳飛の“マンガ” などもたくさんあります。どんな意図で作られたのか、宮廷の人たちにどんな影響を与えていたのかを調べるのが今後のテーマです」

そもそも松浦が中国文学の道に進んだのは中国文学の研究者だった父の影響があった。「10歳ぐらいの頃に、北京大学に赴任していた父を訪ねて中国に家族と行ったことがあります。数週間程度の滞在で、中国各地もまわりましたが、街の電灯はうす暗くて、時間もゆったり、みんなのんびり、牧歌的な時代でした。私の原体験の一つです。ちなみに父の専門は李白などの中国古典文学でした。サブカルとは対極です」
そう言って松浦はおかしそうに表情をゆるめた。

初めて翻訳を手がけた『楊家将演義』(勉誠出版)。北宋の名将、楊業の悲劇的生涯を描いた、明代に出版された作品。

OTHERS

前へ
次へ