2021.3

神大研究者

藤澤 茜 先生

歌舞伎の美と
浮世絵の美と江戸の人々

江戸時代に花開いた歌舞伎と浮世絵。
両者に通底する独自の美意識と庶民のためのメディアとしての役割。
二つの芸術の尽きぬ謎に時を超えて挑む。

藤澤 茜 先生

Akane Fujisawa

国際日本学部 日本文化学科
美術史、日本文学
※2021年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01メディアミックスとしての歌舞伎と浮世絵

「江戸時代に行きたいなあとは年中思いますね。さまざまなものごとを楽しむ感性に優れていた時代だったのではないでしょうか」
浮世絵と歌舞伎を主軸として江戸文化史の研究を続ける藤澤。

タイムトラベルをしてみたいと願う江戸の文化とはこうだったと言う。
「歌舞伎も江戸時代では“現代劇” ですので、舞台の上では当時売りはじめた薬などの商品がちらりと宣伝で出てきたり、役者が流行りのファッションで登場したりと、情報や知識が得られる場所でもありました。また当時人気の小説が歌舞伎になって上演されたり、それがこんどは浮世絵になったり、今で言う人気小説の舞台化や漫画化みたいなものも盛んでした。たとえば『南総里見八犬伝』は読本という少し難しい小説に属しているのですが、これが人気が出ると歌舞伎になり、絵と文字が一体化した草双紙という小説になり、このキャラクターはこの歌舞伎役者に演じてほしいという願望を表現した浮世絵も出てきます。

江戸時代中期には、個々の役者を似顔で描く手法が定着しましたので、個々の役者を顔だけで判別することができました。『八犬伝』中の美男の信乃という役を八代目團十郎の顔で描いている浮世絵があるのですが、これは信乃は團十郎にやらせたいという架空の絵なんですね。『八犬伝』は双六にもなっていますし、現代のメディアミックスのように、一つの小説からいろいろなものが派生していく。江戸時代の人の発想力はすごいなと思います」

江戸は18世紀はじめには人口100万人をかかえる世界有数の大都市だった。商品経済も発達し、娯楽に限らずさまざまなものがシステム化されていたと藤澤は言う。浮世絵にしても版元という出版社があり、そこがプロデュースから販売、流通までおこなっていたからこそ、多くの作品が生まれ、人気が出たのだ。

著書の『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院)と、監修をした『浮世絵』(京都芸術大学の所蔵品カタログ)。

Chapter #02歌舞伎は浮世絵のように綺麗でなくては

藤澤の江戸への関心は祖母の歌舞伎好きによる。
「中学生の頃から祖母に連れられて歌舞伎をよく観に行っていました。お芝居の筋は分かりにくかったのですが、劇場という空間で生のお芝居を観るという体験自体がとても面白かったんですね。大学生になってからは一人で行きました。坂東玉三郎さんや片岡仁左衛門さんが大好きでしたね」

大学では歌舞伎の講義もあり、趣味の世界だとばかり思っていた歌舞伎が学問になっていることに驚く。4 年になると歌舞伎を真剣に学びたいと考えはじめ、卒論のテーマを歌舞伎にすると決めた。浮世絵を意識しはじめたのもこの頃からだ。
「歌舞伎の研究といっても、わたしは現代のではなく江戸時代の歌舞伎について知りたいと思っていたので、それならば役者が描かれている浮世絵を資料としてきちんと見ないとだめだと恩師に言われたんです」

やがて浮世絵と歌舞伎の意外な関係をいくつも発見する。
「お芝居が上演されたあとに役者の絵が出るというのが普通の流れなのですが、上演されるより前に役者の絵が作られている例もけっこうあるんです。それぞれの役者には大勢のファンがついていましたから、その人たちに向けた宣伝のような役割を役者絵が果たしていたんですね。劇場側にとっても嬉しいですし、版元も他の版元との競争に勝つためには早く売り出したかったのでしょう。庶民にとって役者絵はお芝居の情報源ですし、その絵を元におしゃべりに花を咲かせたりもした。そんなことを考えると楽しくて」

歌舞伎と浮世絵の双方に通底する美意識もその一つだ。
「明治以降の劇評に『この芝居は浮世絵らしさがないから駄目だ』ということが述べられています。つまり、歌舞伎には浮世絵の持つ江戸時代らしい雰囲気が必要であり、浮世絵のように綺麗でないといけないという感覚があった。浮世絵らしい舞台を作るという感覚は実に独特ですね」
それは役者の所作にも通じると、藤澤はこんなエピソードを披露してくれた。

「市川猿之助さんの講演会の司会をつとめる機会があり、浮世絵の役者のポーズは絵師が誇張して描いているんですよねと何気なくうかがったら、そう見えるかもしれないが、実は役者の目から見ても役者絵のポーズは理にかなっているとおっしゃったんです」
猿之助丈いわく、演技の稽古では役者絵に描かれているような無理なポーズをさせられることもあり、それは舞台の上で強く美しく見せるためのポーズだと教わるというのである。

役者の動きがどれほど絵の中に反映され、表現されているのか、証明するのは今となっては難しいが、そういうところまでも突き詰めていきたいと藤澤は考える。
「役者絵は江戸時代の舞台全体の雰囲気をそこに込めて描かれていたであろうし、見る人はそれを楽しんだと思うのです」

Chapter #03大スター八代目團十郎の死絵とは

天保の改革など、幕府によって役者絵の出版が禁止された時も、役者絵だとばれないよう役者の名を記載せずに似顔絵だけで勝負するなど、絵師たちは規制の網を賢くかいくぐる。幕府の規制下でも歌舞伎や浮世絵などの文化を守り発達させていった当時の庶民のしたたかさには驚くと藤澤は言う。
美術史的、演劇史的な研究にとどまらない広がりを目指す藤澤は、浮世絵の社会的役割、そのメディア性に強く引かれる。そんな藤澤が好み、注目するものの一つが死絵である。
「役者が亡くなった時にそれを絵で伝えるのが死絵です。お釈迦様の涅槃図のように役者の遺骸のまわりで女性たちが悲しんでいたりとか、極楽に行ってちゃんと成仏している様子であったり、絵柄はいろいろですが、亡くなった役者への悲しみの感情や、生前の功績を讃える気持ちを込めて描かれたものがたくさんあります。当時の役者が江戸の人々にとっていかに特別なスターだったかがわかります」

その死絵が最も数多く出版された役者が八代目團十郎だった。
「江戸の役者だった八代目團十郎は当時の大スターで女性ファンがとても多かったのですが、大阪に行っている時に自殺をしてしまったんです。それはもうセンセーショナルな出来事でした。人気絶頂で亡くなりましたので、人々のショックはとても大きかったんです」

西洋には油彩などで描かれたシェークスピア俳優の肖像画なども残っている。だが、それらは江戸の役者絵とどんなにかかけ離れていることだろうかと藤澤は思う。役者絵には実際の舞台の生命が宿っている。そしてなによりも、上流階級に属する芸術ではなく、歌舞伎という演劇芸術を含めて庶民のものであった。その独自性に藤澤は強く心を動かされるのだ。

「一番好きな絵師は歌川国貞ですね。役者絵や美人画を得意として、浮世絵師で最多とされる作画量を誇る絵師ですが、現在の知名度がそれほどでもないんですよ。なんとか多くの人に知ってもらいたくて、授業でも学生によく話すんですが」
そう言って笑う、その時代を知り尽くしているかのような表情の藤澤は、実はすでに江戸時代へとタイムトラベルしたことがあるのかもしれない……。

三代歌川豊国(歌川国貞)が描いた八代目團十郎の死絵。八代目團十郎については、さまざまな絵柄の死絵が多数描かれた。(所蔵:藤澤茜)

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