2019.10

神大研究者

上田 渉 先生

“触媒主義”から
生まれるもの

地球環境は危機に瀕している。
その危機を救うのは何あろう、触媒である。
生物に似たエネルギー生産体系と物質代謝体系。
それを触媒を用いて人間社会に実現すること。
この“触媒主義”を基本とした壮大な計画を語る。

上田 渉 先生

Wataru Ueda

工学部 物質生命化学科
触媒化学、触媒物質化学、触媒反応化学
※2019年10月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01生物の営みの基本は触媒にある

上田は、“触媒主義”は大変重要と語り、それを基にしたエネルギー生産と物質生産の実現のため、国の研究プロジェクトの統括を始めとしたさまざまな研究活動に日々勤しんでいる。では“触媒主義”とは何なのか?上田の論文では次のように定義されている。
《生命体が取り得ないガソリンエンジンのような触媒を使わないプロセスをなくし、生命的な触媒プロセスでバランスが取れたエネルギーと化学物質の生産をとりいれるべき、とする方向である。これを触媒主義という》。

別の言い方をすれば、限りなく効率的で再循環型のエネルギーと物質の生産システムを触媒を使うことで実現しよう、という計画なのである。

ケンブリッジ大学に研究員として赴任していた時、科学が溢れ出ていた建物の前での研究仲間たちとの記念写真。

そもそも触媒──生物の場合は酵素──とは何か。これについては、上田の幼稚園のたとえがわかりやすい。
「恥ずかしがって手をつながない二人の園児がいたときに、先生がやってきてそれぞれと手をつなぐ。そして、みんなで輪を作ろうと先生が言うと、園児たちは空いている手をつないで輪を作る。しばらくして先生が輪から離れても、園児たちは手をつないだまま。先生はまた他の園児と同じように手をつなぎ、同じことを繰り返す。このときの先生の役割が触媒なんです」

その触媒がなぜ新しいエネルギーシステムにとって重大な役割を果たすのか。
「人はエネルギーがないと体は動かせない。また、日々代謝をして新しい体を作っていく必要もある。この二つがあって人は存在しているわけです。エネルギーについて考えれば、たとえば自動車はガソリンをエンジン内で爆発させてエネルギーを作っている。では、人はどうでしょう?人は食べものを空気と反応させて燃やしてエネルギーを出している。でも、自動車のように爆発させて燃やしているわけじゃない。ゆっくり炎を出さずに燃やしている。これを可能にしているのが触媒なんです。代謝もそうです。最適なスピードで新しい体を作るということを触媒がおこなっている。つまり、生物の営みの基本は触媒が支えていると言えるんですね。地球上における生物界を維持するには、触媒(酵素)活動に基づいた物質系、エネルギー生産系であることが必要になってくるんです」と説明する。

ところが現代は触媒作用を使わずにエネルギーを作るので、二酸化炭素の排出や原子力など、さまざまな問題を抱える。また、プラスチックも新陳代謝というサイクルが成立しないのでマイクロプラスチックのような問題が起きる。
「触媒を使う方法であれば、もっと優しい、生物に近い作り方になる。酵素を使っている生物と同じような形で、人間が触媒を使ってエネルギーを作ることができれば、それは生物に近いものになるわけです。つまり、より生物に即したエネルギー生産体系になるので、おのずと生命の営みに悪さをしない社会になるんです」

Chapter #02メタンを触媒で反応

だが“触媒主義に立脚した社会”は一朝一夕には到来しない。大小さまざまな壁が“触媒主義”を進める者たちの行く手に立ちはだかる。「たとえば、これからはもっと触媒の力を使って自然に近い有機物を作らないといけない。そうすれば、その有機物は自然に壊れて大地に帰っていきます。しかし、それがなかなか簡単ではない。技術はかなり進歩していますが、まだまだやるべきことが山積しています。エネルギーを作るのでも、物質を作るのでも、“触媒主義”が徹底されないと我々の未来は危うい。だからもっと触媒研究しましょうと旗振りをしているのです。地球に破滅的な影響が出る前に答を出せるのかというと、正直、わからないと思う時もあります。でも、悲観的なことを言ってもしかたがないので、信念をふるって前進するのみです」

上田を中心とした全国の研究チームは今、触媒を使ってメタンを利用する研究を進めている。そもそもメタンは石油よりもエネルギーや物質を作る際のCO²の排出が少ないのだが、触媒を使ってメタンを利用することでさらにCO²の排出を少なくできれば、石炭や石油に取って替わる炭素資源になる。しかも日本近海にはメタンハイドレートが埋蔵されているので、将来他国に依存しないエネルギー立国ともなる可能性も与える。

「触媒を使って温和にメタンを反応させる技術はまだ確立されていません。ところが生命はちゃんとこれをしているんです。メタン資化細菌という微生物がいて、メタンを食べてエネルギーを得、体を作っているのですね。同じことが人間にはまだできていない。私が総括している国のCRESTプロジェクトは、世界に先駆けてこれを日本が最初に開発しようというものなんです」

触媒の研究に欠かせない装置が所狭しと並ぶ実験室。

Chapter #03美の背後には化学あり

“触媒主義”の研究とは、いわば人間の突拍子もない発想と触媒の世界の情報とを合体させるチャレンジでもあると上田は言う。そのために、AIを導入して過去の失敗から新たな方向性を探るなど、時代に即したさまざまな方法論も模索している。

研究は楽しいですかという問いに、こんなふうに語ってくれた。
「研究の背後には論理性というか、かなり数学的な思考があります。それは果てしない複雑さに挑むために必要なことなんです。だけど、その複雑さ自体が面白く、楽しいんですよ。複雑性の美と言おうか。まさに機能美の極致ですね。喜びですか?そうねえ。こういう物質がちゃんと自然界にあったんだということの驚き。そしてそれを我々の手で作りあげたということの喜びですね」

生家が信楽焼の窯元である上田は、さらにこんなことを教えてくれた。
「陶器を還元焼成という焼き方をすると、陶器の表が美しい金属のような状態になるんですね。ノーベル賞を取った高温超伝導の研究で発見された現象は、この焼き物の焼き方に似ているんです。超伝導の研究に似た現象を、人は美として楽しんできたんだなあと不思議な気持ちに襲われます。人がものに美と感ずるときの背後には、結晶構造など化学的な何かがあるんですね。美を作ることでこれを新しい化学として理解できることがあり、ひいては触媒に生かせるという現実がある。これも化学者ならではの喜びですね」

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