2019.10

神大研究者

辻 勇人 先生

“神様が作り忘れた物質”
を求めて

自然に存在しない新しい物質を作ること。
それが有機合成化学の目的だ。
辻が作り出した新物質がいま世界中の注目を浴びる。
それはいったいどんな物質なのか?
そして有機合成化学は地球を
どんなふうに変えようとしているのだろうか?

辻 勇人 先生

Hayato Tsuji

理学部 化学科
有機合成化学、有機金属・典型元素化学、機能性物質科学
※2019年10月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01グニャグニャの分子を真っ平らにする

辻の専門分野である有機合成化学の特徴は、いわば地上に存在しない新しい物質を作り出せるということだ。そして今、辻が中心となって作り出したその新しい物質が世界の注目を浴びている。その名をCOPV(炭素架橋オリゴフェニレンビニレン)という。
「ノーベル賞を受賞された白川英樹先生のポリアセチレンという物質が有名ですが、π電子というものを持った系統の物質があるんです。このπ電子系と呼ばれる物質群は、光を発する性質や電気を通すポテンシャルを持っているんですね。そのうちの一つに、炭素が亀の甲の形に配置したベンゼン環と炭素-炭素二重結合が交互につながったフェニレンビニレンという物質があります」と、辻は分子模型を手に説明を始めた。

このフェニレンビニレンは、辻の表現によれば“グニャグニャ” していてπ電子が自由に動くことができず、その本来の特徴が発揮されていないのだという。だから、どうにかして“真っ平ら” にしたかった。
「このグニャグニャしている部分を炭素でブリッジしてあげるといいのではないかと考え、我々が設計し、作りだした物質がCOPVです」

乱暴な言い方をすれば、分子の中のグラグラしている箇所を炭素でビシッとつないで固定したということだ。
「これによって、この物質が持っていた力を十全に引き出すことができました。発光効率は100%に達し、電気的な性質もとても素晴らしく、電子移動速度が既存のフェニレンビニレン分子に比べて840倍も速い。そのため、分子を電線として使う分子ワイヤとして使えることも最近わかってきたんです」

そのインパクトがどれほどのものかというと、たとえばCPUのゲート長(トランジスタの大きさ。小さい=短いほどコンパクトになり、集積化できる)が、分子ワイヤを使えば現在の10nmから1nm前半へと一気に小さくなる。また、COPVの優れた発光特性をレーザー光源として用いれば、3次元ホログラフィなどの次世代表示・照明装置として大活躍するだろうという。しかも物質としての安定性も申し分ない。世界が注目するゆえんである。

水や空気に敏感な物質を扱うために、不活性ガスが充填された「グローブボックス」という装置を使っての作業中。

これまで存在しなかった物質を作る。それが他のサイエンスとは異なる合成化学の特徴であり、大きな醍醐味だと辻は言う。だが、それは極めて複雑で繊細で忍耐を要する仕事であるはずだ。
「我々は物質を作るための、そのツールからすべて自作するんです。それが、唯一無二の物質を作ることができるという強みになっています。でも、本当に難しいんですよ。何度も何度も失敗を重ねて成功へと近づいていくんですが、“匠のワザ” みたいなところがあって、『これはこういう色になったから成功です』という学生の見立てのほうが当たってたりするんですよ(笑)。研究室はいわば職人集団化しつつありますね」

そう言って辻は愉快に笑う。
「100の実験をして、そのうち一つから新しいものが見つかれば、それはたいへんな成功ですし、そのときは感動ですね。今までうまくいかなかったことが、なぜかうまくできるようになったとか、小さな感動もたくさんあります。日々、そんな大小の感動の積み重ねがある。それが研究をやめられない一番の理由かもしれませんね。たとえ失敗しても、きっちり仕事をしたのなら、何かいいことが絶対あるはずですし」

そんな辻たちが作り出した物質、そして作り出そうとしている物質はCOPV以外にも多岐にわたる。たとえば、フランという4個の炭素原子と1 個の酸素原子から構成される五角形を含んだ分子についても、辻は以前から研究を進めている。
「有機ELに電気を流すための物質、電荷輸送材料として我々が作ったものがあるのですが、これはとても大きな可能性を秘めた物質でもあるんです。似た物質にチオフェンというものがあり、多くの分野で利用・研究されているのですが、チオフェンは石油から作られる物質なんです。ところが、このフランは糖から水を取るとできるんです。つまり、バイオマスを脱水するとフランを持った物質ができる。現在はこれはプラスチックなどの構造材料を作るのに使われています。この物質から化学変換で半導体分子の形に持って行くことができたら、石油ではない天然資源から半導体が作れるわけなんです」

言うなれば、草木から半導体ができるということである!! 木と同じだから、使い終われば焼却してもカーボンニュートラルだし、土にも還りやすいかもしれない。
「もちろん、実現は簡単ではありません。でも、これからは社会に役立つ物質であること、持続性のある社会を作る物質であることが大事だと思っています」

Chapter #02持続可能な社会への貢献

「佐藤健太郎さんという科学ジャーナリストの方がいるのですが、彼が『炭素文明論』(新潮社)という著書で、合成化学が作り出す新しい物質のことを『神様が作り忘れた物質』と書いているんです。スゴイ表現だなあと思いましたね。自然に存在しない新しい物質を作ることで人類に役立つことができる、それが大事なことなんだと改めて思うんです」

辻によれば、有機合成化学はもともと薬を作ることで発展してきたのだという。つまり、人類に役立つのだという使命があった。
「ところが化学が作り出したプラスチックは、今ではマイクロプラスチックなどの問題を引き起こしています。これからは、役に立ちなおかつ自然界を循環できる物質を作ることで、化学は貢献していかければと思いますね」

いま現在取り組んでいる新しい物質について問うと、辻はこう言った。
「具体的な話はできません(笑)。まったく別な種類の物質を作ろうとしていて、もうちょっとのところまで来ているんですよ。それは、エネルギー変換とか、いろんなシーンで使える優れたポテンシャルがある物質となるに違いないと思っています」

あくまでも中身は秘密ですと、辻は茶目っ気たっぷりにほほ笑んだ。

COPVの溶液に紫外線を当てると煌々と光りだす。

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