2019.10

神大研究者

イートン・フレデリック・チャーチル 先生

教える・学ぶことの
不思議に魅せられて

フランスで過ごした少年時代。
そして20代でやって来た日本。
二つの異国での体験から知った
「教える・学ぶ」行為の不思議に挑む。

イートン・フレデリック・チャーチル 先生

Eton Churchill

国際日本学部 国際文化交流学科
教育学、第二言語習得学、文化人類学
※2019年10月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01環境に依存する第二言語の習得

チャーチルは13歳の時にアメリカからフランスに渡り、パリで3年を過ごし、そこでフランス語を身につけた。大学卒業後、高校教師としてアメリカでフランス語を教え、26歳の時には岐阜県の郡上八幡に短期留学、今度は日本語に触れる。そして27歳で再来日後は日本の高校で英語とフランス語を教える。二つの異国で、二つの言語を学び、かつ教えるというこの経験が、チャーチルを第二言語の習得という研究へと導いたと、彼自身が言う。「自分の経験から、外国で第二言語を習得する際には環境が大事であって、ホストファミリーと一緒に料理を作ったり、友だちとサッカーやゲームをしたり、そういう近い距離感の中でいかに多くその国の文化に触れるかが重要な要素だということがわかっていました」

チャーチルは、自身の経験を踏まえ、日本人学生の留学経験に関する博士論文を書く。この研究から、留学環境の違いが学生の言語習得に大きく影響することを知る。同僚やホストファミリーと交流する機会が多かった学生ほど、多くを学ぶことができたのだ。

異なる言語を学ぶ。あるいは新たな技術を学ぶ。その時、環境と身体の動きがどんな役割を果たすのか。異国で自身が生徒であり、教師であったチャーチルは、「教える・学ぶ」という人間的行為に社会学や認知科学の照明を当てたいと考えた。それが研究の発端だ。「たとえば英語の家庭教師は生徒に対して、どんな距離感の中で、目線や指さし、ジェスチャーなど、自分の身体をどんなふうに使って英語を教えることができたのかということを調査、研究しました。わかったのは、Embodied Interactionが重要であるということ。つまり、身体を使って教え、学ぶということですね。おそらく、言語習得でのよくあるイメージは、言葉を頭の中に入れるというものですが、そこに身体はない。頭と言語しかないんですね。私はそうではなく、身体というものをもっと強調すべきだと考えたんです」

ビデオカメラとICレコーダーは相互行為分析には欠かせない道具だ。

チャーチルは相互行為分析という手法を用いてさらに研究を進めた。「教える・学ぶ」現場をビデオに撮影し、そこから詳しく双方の言動を分析していく。
「たとえばピアノの学習です。先生の手から生徒の手にスキルはどうやって移動するのか。単純に考えると、先生が指示をし、生徒の手を先生の手のように動かさせることによってということになる。でも、それだけではないんです。鍵盤や楽譜のさまざまな記号を読み、またその特定のセミオティック(Semiotic=記号論)システムの読み方を学び、そのシステムと自分の身体の関係性を覚えないといけないのです。たとえば、ある音符に右手の親指で弾くという指示がされているとします。その時に間違えて別の指を使ってしまうと、次の音符をうまく弾けないことがあります。生徒は自分の“手”をその学習の環境の中に入り込ませ、先生が自分の身体を利用して指示を出し、その環境と生徒の身体との関係性を作りあげることができる。教え学ぶということは、単に一人から一人へと伝えることではなく、その環境の中に入ること、あるいは文化をベースにすることで可能になることなんですね」

身振り手振りで何かを教える。私たち人間にとってはごくごく当たり前のことである。だが、よくよく振り返ってみれば、それは人間だけがなし得ることだ。
「たとえば大人のチンパンジーは小枝を使って土の中にいる虫をほじくり出して食べることができる。でも、チンパンジーは言葉やジェスチャーを使ってその技術を子どもに教えることはできない。子どもは大人の行動を見て何年もかけて学ぶんです。あるいは、ブラジルのある猿は、ナッツの殻を石で叩いて割って食べます。猿はナッツの殻のどの部分が割りやすいのかも音で判断できます。でも、大人の猿はそれを子どもに教えることができない。その結果、子どもがその技術を学ぶのに5年もかかるんです。でも、人間は違います」

言葉を教える。より大きな視点から言えば文化を移転・伝達する。それを人間ができるのは、その文化という環境のただ中で、文化の助けを得て、自分の身体が持つさまざまな“ツール”を使うことができるからだとチャーチルは言うのである。

Chapter #02手で考えるということ

チャーチルは“第2世代の認知科学”の視点から、さらに研究を深める。そこに見えてくるのは、やはり身体と学ぶことの密接な関わりである。陶芸やピアノなどの技術だけでなく、言語の習得においてさえも、脳が学ぶのではなく、“身体が学ぶ”と表現するしかない状態があるのだ。
「第2世代の認知科学では認知できるのは耳と耳の間、つまり脳だけではないと言います。あるいは文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンの有名なたとえ話では、目が不自由な人は、どこまでが“私”なのかと問うた時、杖をついて歩いている時は杖の先端までが“私”だと言います。神経は身体全体に広がっていますから、いわば“手で考える”という言い方もできるんです」

教え・学ぶ時、その瞬間瞬間、先生と生徒の身体を含めた相互行為において、いったい何が起きているのか。その何が言語や技術の伝達を可能にしているのか。この問いを突き詰めていくことは、さらに高いレベルでの文化・文明の継承や移動の秘密を明らかにすることにつながるとチャーチルは考える。

人間が人間であるということは「教える・学ぶ」ことの積み重ねでできている。一見、あまりにも明白であるがゆえに、誰もじっと見つめることをしない、この「教える・学ぶ」という行為を、チャーチルはいわばプレパラートにはさんで顕微鏡でのぞくのだ。

「『Makingthefamiliarstrange』という文化人類学でよく言われる言葉があります。当たり前のことをおかしく感じてみる、つまり見直してみることで新しい発見があるということです。2020年に発足する国際文化交流学科に、私も深く関わっております。そこでは、私のこの研究を学生たちと一緒に進めていこうと思っています。今から楽しみです」

2006年に発刊された、第二言語の習得にフォーカスした研究をまとめた共著書。

OTHERS

前へ
次へ