2018.11

神大研究者

井上 和仁 先生

光合成の謎に魅せられて

再生可能エネルギーについて盛んに語られる今、
井上が主導してきた研究は
世界から大きな注目を浴びている。
光合成を行うことで
水素を作り出すバクテリアの研究だ。
エネルギーの歴史を
変えるかもしれない井上の挑戦に迫る。

井上 和仁 先生

Kazuhito Inoue

理学部 生物科学科
光合成の起源、光合成を利用した水素エネルギーの生産
※2018年11月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01謎だらけの光合成の仕組み

「不思議なものに真正面から挑む。それが理学の神髄ですね」と井上は語る。
「“なぜ”を知りたい。そして、知って、皆に伝える。こんなことが起きていて、だから、みんなが生きているんだと」

井上が早稲田大学の学部生のころから追いかけてきた「なぜ」、それは光合成だった。光エネルギーが酸素と有機物を作り出す植物の働き。誰もが知っている光合成だが、その進化の道筋すら、実は謎だらけなのだ。
「わたしが学生だった1980年代は、生化学の手法によって光合成についての新しい発見が次々と行われていました。わたしたちがしていたのは、材料となるホウレンソウを八百屋でたくさん買ってきてすりつぶし、中に含まれている成分を分離して、光合成に関わるタンパク質を突き止めるという研究でした」

大学院では、光を生物が利用できるエネルギーに変えるのに使われる4つの膜タンパク質のうちの一つ、光化学系Ⅰの研究を続けた。井上は、光化学系Ⅰに光が集まりすぎると活性酸素ができ、タンパク質にダメージを与えることを見出す。光化学系Ⅰは強すぎる光に弱いということを明らかにした彼の論文は、いまだに世界中で引用され続けているという。

「30年以上も前の大学院時代の論文が、そうやって今も他の研究の土台になっているというのは、とてもラッキーで、本当によかったと思います」

神奈川大学理学部の開設に伴い、助手として採用された井上はさらに光合成の進化という大きな「なぜ」に向き合う。
「光合成という極めて複雑なシステムを一気に生物が獲得したとは考えにくい。どういうふうにシステムができあがっていったのかに、とても興味がわいたのですね」

光合成の進化を解き明かすために最適なもっと始原的な材料はないかと探した井上は、シアノバクテリアに着目。そしてそれよりもさらに起源が古い光合成細菌に出会うことになる。光合成細菌の一つである緑色硫黄細菌の研究を始めたころ、本学の在外研究員制度でアメリカのインディアナ大学の客員研究員として派遣されることになるのである。光合成細菌の有名な研究者を多く輩出していたのが、このインディアナ大学だった。

Chapter #02光合成によって水素を作る

インディアナ大学では紅色細菌という光合成細菌について分子生物学のアプローチから研究を進めた。
「紅色細菌は酸素があると酸素呼吸をするのですが、酸素がない環境では光合成をするんですね。いったいどんな仕組みになっているのか。そして、酸素があるかないかで光合成のスイッチを入れる役割のタンパク質は何か。それに夢中になって、まさに寝るのも忘れて研究していました。研究論文がアメリカ化学会が発行する『バイオケミストリー』という学術誌に掲載されたときは嬉しかったですね」

1年後、神奈川大学に戻った井上を待っていたのは早稲田大学時代の恩師、櫻井英博教授からの共同研究の誘いだった。これが、井上のその後の主要テーマとなったシアノバクテリアと水素発生との出会いとなる。

シアノバクテリアの1種であるノストックを生物工学的に改良、水素生産の能力が高まった株を作成しているところ。丸いシャーレのプレート上に生えてきたノストックの細胞をプラスチック培養器に植え継いでいく。

「櫻井先生は光エネルギーを使って水素を作るシアノバクテリアの研究をされていました。先生は退官も間近でしたので、わたしの研究室で先生の研究を引き継いで推進しようと思いました。光合成細菌を使った光合成の進化の研究も進めながら、シアノバクテリアについてもわたしの研究室で本格的に開始したのです。当時は化石燃料と地球温暖化の問題が叫ばれ始めたころでしたから、シアノバクテリアの研究がエネルギー問題を解決してくれるかもしれないという思いもありました」

2007年、井上は光合成水素生産研究所(プロジェクト研究所)を学内に立ち上げ、スタッフを組織し、さらに研究を加速させた。櫻井教授も客員教授として招いた。そして、井上は着々と大きな成果を上げていくのである。

井上たちはシアノバクテリアが持つ酵素ニトロゲナーゼに注目した。シアノバクテリアは窒素固定(空気中の窒素分子をアンモニアへと変換すること)をする過程で水素を出すのだが、ここで重要な働きをしているニトロゲナーゼに注目したのだ。一方でシアノバクテリア内に存在しているヒドロゲナーゼという酵素もまた水素を出すのだが、同時に水素を再吸収していることがわかってきた。ヒドロゲナーゼの遺伝子を破壊するシアノバクテリアの株を作ったところ、発生する水素量が増えたのである。

「いろんなタイプのシアノバクテリア変異株を遺伝子工学的に作ったところ、既存のものの数十倍の量の水素を出す株を作ることができたんですね。このシアノバクテリアをガラスバイアル(高強度ガラス容器)の中に入れ、中の気体の組成を変えて窒素が欠乏した状態にすると、ニトロゲナーゼを発現して窒素固定をしようとします。すると、あらかじめヒドロゲナーゼを壊してあるので、窒素固定をしながら同時に水素がどんどんたまっていくのですね。蛍光灯ほどの弱い光の下でも水素を発生し、定期的に中の気体を入れ替えると、数ヶ月もの間、水素を作り続けるのです。いまでは、実験室においては、こういうところまで可能になっているんです」

原油に対抗できるエネルギーとするには、安価で大規模に水素が生産できる必要がある。そのためにはどのようなシアノバクテリアの培養のしかたがベストなのか、現在は培養容器の素材まで井上たちは研究を進めている。
「まだ夢の段階ですが、赤道無風帯(北東貿易風帯と南東貿易風帯に挟まれたほとんど無風の地帯)の海上に、フロート型の巨大なバイオリアクターをいくつも浮かべ、そこで水素を生産できたらいいなと思っています」

Chapter #03次世代を育てることが責務

さて、光合成の進化の謎に戻ろう。
「光合成にはクロロフィルやカロテノイドなどの色素が必要ですが、そういう光エネルギーをとらえることができる色素が最初にどうやって作られたのかなど、光合成の進化についてはまだまだ謎のままなんです。解明にはおそらく生物学だけではなく、地球科学、惑星科学などの関連領域との連携が必要になるのではないでしょうか。なかなか難しいです」

と語る井上だが、その瞳はこの巨大な「なぜ」を前にしてキラキラ輝く。子どものころから生物に関心があったという井上。「親父のカメラを借りて生き物の写真を撮るのが大好きでしたね。昆虫採集も好きでした」

少年のころ、ワトソン・クリックの二重螺旋についての本を夢中になって読んだという。
「実はワトソンはインディアナ大学で学位を取っているんですよ。まだお元気で、向こうにいたときに会いましたよ。とは言っても、講演会で遠くから見ただけですが。近くに行って一緒に写真を撮っておけばよかったと後悔しています」と井上は笑う。その井上にいまいちばんしたいことを聞くと、こう答えた。
「光合成で水素を発生させるわたしたちの研究をさらに進め、担ってくれる次の世代を育てることですね」

選抜されたノストックを三角フラスコに植え継ぎ、フラスコ内の二酸化炭素濃度が高くなるように通気しながら培養する。

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