2017.11

神大研究者

奥山 聡子 先生

人々の幸せに
目を向ける経済学を

無秩序なグローバル化がもたらした
2008年の世界金融危機。
その後遺症に苦しむ中、
各国で台頭するナショナリズム。
格差が拡大し、貧困問題が深刻化する社会で
経済学は正しい処方箋を
示せるのだろうかと奥山は自問する。
経済学は人々に幸せをもたらすためにあるはずだと。

奥山 聡子 先生

Satoko Okuyama

経済学部 現代ビジネス学科
国際経済学
※2017年11月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01岐路に立つ近代経済学

父も母も兄も奥山自身も、家族全員が東北大学の経済学部出身であり、父は研究者として現役で仕事を続けている。「家業を継いだような感じですね」と奥山は笑う。マルクス経済学者である父からの影響を多分に受けたとも奥山は語る。
「わたしは近代経済学を学んできたので父とは問題に対する分析の仕方が異なります。近代経済学は、判断基準として効率性を重視します。なので、格差や貧困の問題を扱うのがそもそも苦手です。けれども、“人々の幸せって何だろう?平等って何だろう?”という問題意識を持つことの大切さを父からは教わりました。このところ、ヨーロッパではトマ・ピケティが格差社会に警鐘を鳴らすなど、経済の効率性を求めるだけでなく、人々の幸せや社会問題に少しずつ目を向け始めようとしています。今のそんな風潮はとてもよいことだと思っています」

近代経済学は現在、岐路に立っていると奥山は言う。「2008年に起きた世界金融危機は、近代経済学に非常に大きな衝撃を与えました。それ以前の近代経済学では、自由化とグローバル化を進めることで経済が豊かになると言われていました。金融危機が起きるのは、ほとんどが新興国や発展途上国で、そうした国では自由化やグローバル化をすればよいと考えられていたのです。ところが、2008年の世界金融危機では、危機の震源国が、自由化でもグローバル化でも最先端を行くアメリカだったのです。その後の社会は混沌を極め、先進国では、弱体化した経済を支えるために、中央銀行や政府系金融機関が株式・債券市場に介入して大量の株や債券を購入しています。これは近代経済学が前提とする完全競争市場とはかけ離れた状態です。近代経済学は、自分たちが前提とする世界が崩れ、行き先を見失っているのです」

Chapter #02通貨危機・金融危機は予測可能?

そんな奥山の現今のテーマが「通貨危機、金融危機はどこまで予測可能か」というもの。
「危機が起こればパニックはだれにも止められません。またその後の金融政策で一時的に落ち着きを取り戻したとしても、出口戦略が困難を極めるでしょう。では、危機が発生しないように、前段階で警鐘を鳴らして食い止めることはできないのか?そういう問題意識を持って研究をしています。気象予報ならぬ、経済予報ですね。でも、物理の法則に従って動く気象と違い、経済では人々の思惑が重なり合い、相互に影響し合います。それが予測を非常に困難なものにするのです。たとえば、予測の精度が上がれば上がるほど、『日本経済はしばらく晴天が続くでしょう』という予報を出すと、日本に資金がワーっと集まってきて、それが日本の経済を逆に不安定にしてしまう、というジレンマが起こりうるのです。そうした人々の行動も経済モデルに取り入れながら、長期的には、通貨危機や金融危機が起きないような通貨・金融システムを見出すことができたならと思っています」

奥山がいま一番おすすめの本が『世界デフレは三度来る(上・下)』。19世紀後半から現代までの経済政策の歴史を描くノンフィクション。奥山自身、二度も読み返したという。

現在の金融市場は、世界金融危機の際に各国が実行した政策により、これまで誰も経験したことのない状況に置かれているという。
「2008年の世界金融危機は、金融テクノロジーを駆使する金融の専門家たちが引き起こした大混乱で、資本主義による失敗の好例です。しかし、危機への対処政策の技術的発達から、1929年の大恐慌のような大量失業や賃金の大幅な低下などは起きませんでした。日本でも、これまでにない金融政策として、日銀が国債を大量に購入したり、株式を購入したりして、市場に大量の資金を注入しています。ただし、その副作用が今後どのような結果をもたらすのか、実はまだ誰も予測できないのです」

1929年の大恐慌は世界を行き着くところまで追い込み、第二次世界大戦という破局をもたらした。2008年の世界金融危機では非伝統的金融政策によって破局は免れ、表面的には安定しているかに見えるが、逆に何らかの大異変が勃発する可能性を孕んでしまったのではないか。奥山はそんな危機感を抱いているという。
「各国の中央銀行が市場に流したお金が、グローバル化した金融市場を駆け巡っています。これらの資金が今後、どこで暴走し、危機を引き起こすかわかりません。また、日銀が購入した株式や債券を再び手放すとき、株価は必ず下がります。そうした政策を日銀が実行できるのか、できないとすれば、どうやって市場を正常化するのか。日銀が日本の主要企業の筆頭株主になっている現状は、もはやこれまでの経済理論が想定してきた市場経済ではありません」

Chapter #03経済学の目指すべき道

企業活動の自由と市場原理を最大限に推し進めようとする新自由主義に対しても、奥山はこんなふうに疑問を呈する。
「新自由主義は社会の格差を拡大しました。その結果、日本では以前にはあった大きな中間層というものがしぼんでいき、非正規労働者の増加や子どもの高い貧困率など、格差・貧困問題がクローズアップされるようになりました。世界でも、格差の拡大により国家が分断され、ナショナリズムが台頭してきています。昨年のアメリカ大統領選挙やイギリスのEU離脱がそれを象徴しています。そういう状況が望ましいものとは思えません」

現在の金融システムはバランスを欠き、一部の人だけがお金がもうかる仕組みになっているという批判もある。このシステムははたして正しいのか?そういった資本主義それ自体への疑問を提起し、解決していくべきではないかとも奥山は言う。

混沌として予断を許さない世界の今を見つめつつ、奥山は金融システムだけでなく、経済学それ自体の変革の必要性を思う。

「よく、経済学者は内科医に似ていると言われます。内科医は患者の身体のデータや背景から患者の状態を判断し、処方箋を出します。そのためには身体の仕組みをよくわかっていないといけません。同様に経済学者が処方箋を出すには、データだけではダメで、経済の仕組みを理解していないといけない。でも、その理解のしかたが今のままでいいのだろうか?正しい処方箋を出すには、もっと異なる理解のしかた、アプローチのしかたがあるのではないか?そんなふうに思うのです」

経済学の中心に人間の幸せを据えること。奥山の姿勢はその一点では揺らがない。

研究室でパソコンに向かう。

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