2017.3

神大研究者

廣田 律子 先生

国境を越え 時空を旅する。
少数民族・ヤオ族に見る、
文字の力

中国から東南アジア大陸部諸地域に分布する
少数民族「ヤオ族」。
グループが数百~数千キロメートル離れて点在し、
何百年という時間を隔てても、
彼らは民族知識を保存・継承してきた。
時空を越えて彼らのアイデンティティを
今に伝えたのは、漢字で書かれた経典だった。

廣田 律子 先生

Ritsuko Hirota

経営学部 国際経営学科
少数民族・ヤオ族研究
※2017年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01文字によって文化を保存し、継承するヤオ族

ヤオ(ザオ)族と他称される人々は、中国からタイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーにわたる東南アジアの大陸部に広く分布する少数民族で、中国には約270万人が居住する。中央集約的な統治システムを持たないにもかかわらず、数千キロメートル離れて点在し、数百年も断絶されているグループが、ほぼ同じ儀礼知識を継承している。この独特の民族性を支えているのが、民族内で受け継がれてきた、漢字で記された経典だ。
「かつて彼らは焼畑耕作を生業としていたので国境に関係なく山地を移動していました。中にはインドシナ難民として1970年代にアメリカに渡ったグループもいます。ヤオ族は移住先の他文化と共生しながらも自文化を継承してきた。相同の経典を受け継ぎ、儀礼知識のベースとしてきたからです。ヤオ族の経典は、時空を越えて民族を繋ぐアイデンティティの象徴なのです。私はこの独自の文化に惹かれ、研究を始めたのです」と、廣田律子は語る。民俗学者であり、フィールドワークを通し、ヤオ族の文化の保存・継承にも尽力している。

ヤオ族は移動する中で他のグループと出逢えば互いの経典を見せ合い、自らのグループが持っていないものがあれば祭司がそれらを書き写し、自らの経典に加えていく。1人の祭司が持つ経典の数は、100冊に及ぶこともあるという。

ヤオ族の分布。現在、中国には約270万人、タイに約4.5万人、ラオスに約2万人、ベトナムに約75万人が居住するほか、難民としてアメリカに約2.5万人が移住している。(元地図の作製:(一社)ヤオ族文化研究所岡本浩一)

Chapter #02儀礼とは、民族知識のミュージカル

世代や地域の差を越え、ヤオ族が相同の民族知識を保存・継承するために重要な役割を果たすのが、経典を使用して行われる儀礼だ。

儀礼では、祭壇がしつらえられ、壁に20軸以上の神画が飾られる。写真の3軸の神画には「三清神」が描かれており、中央が「元始天尊」、左が「道徳天尊」、右が「霊寶天尊」。(中国湖南省藍山県)

年間で1人の祭司が70回もの儀礼を執り行う。儀礼の中で詠唱される代表的な経典が、ヤオ族の神話や歴史叙事が記されている『盤王大歌』だ。神話ではヤオ族の先祖が南京から移住の旅に出、海を船で渡ろうとした際大嵐に遭遇し、盤王(ビエンフン)に助けを求め願を掛けたところ無事に上陸できたとされる。盤王とは、ヤオ族にとっては救世主である。

儀礼の際、祭壇には盤王に豚の供物が捧げられ、神話的場面が再現されている。この祭壇の前で、時には謎掛けと謎解きの問答を挟みつつ、歌をうたうように『盤王大歌』が詠唱される。彼らの儀礼は、民族の伝承を再確認し、それらを五感で学習するための、いわばミュージカルなのだ。
「中国の漢族も儀礼に文書を使うことが多いが、ヤオ族のように一般民衆が経典を所有し、兼業的に儀礼を行うということはない。さらに崇拝されている神の中には道教の『三清神』も含まれるが、経典の内容は道教とは異なっており、ヤオ族の世界観や神観念に基づいた解釈が加えられ、民族宗教に近いものです」

Chapter #03学者ではないのかもしれません

ヤオ族の間では、地域の差はあるものの今、次世代への儀礼文化の継承問題が浮上している。儀礼を執行する祭司になろうとする若者が減少してきたのだ。廣田は2008年に神奈川大学プロジェクト研究所ヤオ族文化研究所(2015年から一般社団法人ヤオ族文化研究所)を設立し、こうしたヤオ族の社会問題にも取り組んでいる。そのひとつが、ヤオ族のための“教科書づくり”だ。

ヤオ族の文化継承を支えるのは漢字学習だ。経典は旧字体の漢字で書かれているため特別な漢字学習が必要となる。さらに経典は日常使用される言語や漢語とは異なる音訓が付され、経文によって異なるリズムと旋律の節を付して発声され、歌唱法も非常に複雑である。廣田は儀礼の最中に経典がどのように読まれるのかを取材した音声情報、映像資料、文字情報を教材化し、それぞれの地域へと還元することを実践している。さらにヤオ族の儀礼において重要な役割を果たす「神画」の絵師を育てるための奨学金も有志で開設している。日常生活に困らず、修業に専念できる環境がなければ絵師は育たないのだという。
「もしかすると私は学者ではないのかもしれませんね。学者であれば、他民族の文化の継承に外部の人間が手を出すことに、難色を示しているかもしれない。それでも私はこの継承を真に支援したいのです。ヤオ族の儀礼文化は人類にとっての貴重な文化資源なのですから」

一見するとヤオ族は漢族の文化の影響下にあるように見えるが、彼らはその影響を、独自の文化・宗教観に昇華させたユニークな民族だ。それは私たち日本人にも通ずるところがあるという。「日本人は漢字を自文化に採り入れたが、万葉仮名など、漢字の音を借用して日本語を表記しようとした。また漢字を操り自らの思想心情を記述してきた。同様にヤオ族も中国周辺に存続している民族であり、漢字を操ってきた。西洋化=グローバル化もいいけれど、漢字を使って自らの思想を体系化してきた民族固有文化の素晴らしさを、ヤオ族に照らして見直すことも必要では?と思うのです」

解体された豚は、船を模し、肝臓は船の碇、腸はロープ、脂肪は帆を、豚の頭の上に載せられた肉片は、大時化の際に船先で無事を祈るのに使ったハンカチを表現しているのだという。(中国湖南省藍山県)

OTHERS

前へ
次へ