2017.3

神大研究者

ジェームズ・ウェルカー 先生

ポップカルチャーから
読み解く、
日本の女性と自由

研究室の本棚には、大きな瞳で微笑む女の子がカバーを飾る少女マンガ、少年同士の同性愛を描いた「ボーイズラブ(BL)」の同人誌が並ぶ。
アメリカ・オハイオ州出身の研究者、ジェームズ・ウェルカーは、この研究室で日本のジェンダー・セクシュアリティを研究する。少女マンガやボーイズラブなどの日本独自のポップカルチャーは、女性による、女性のための自由を求める戦いの中で生まれたのだ。

ジェームズ・ウェルカー 先生

James Welker

国際日本学部 国際文化交流学科
日本近代文化史、ジェンダー・セクシュアリティ、グローバリゼーション
※2017年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01日本のジェンダーは輸入品ではない

「私は日本のウーマンリブ、レズビアンコミュニティ、そして少年愛を描いた少女マンガの歴史的な関係性に注目し、研究を始めました。これらは1970~80年代に生まれた、日本のジェンダー・セクシュアリティの形成に深く関連したムーブメントであり、コミュニティであり、ポップカルチャーでした。私はアメリカなどの西洋文化との交流を着眼点としながらそれらを研究しています」とウェルカーは話す。

日本のウーマンリブも少女マンガも、単に西洋の文化を“輸入”し、模倣したものではない。抑圧的な男性社会の中に生きる日本の女性たちは、自らの社会的地位を刷新するために、西洋の文化を採り入れながら、独自の文化を生み出してきたのだ。

ウェルカーはそうした西洋文化との交流を説明するとき、“transfiguration(トランスフィギュレーション:変容・変貌・変化の意)”という言葉を用いる。

「西洋の文化がどのように変容・変貌・変化(トランスフィギュア)されていったかを研究することが、日本のジェンダー・セクシュアリティ、そして今の女性が置かれている社会的状況を考察する手がかりを与えてくれるのです」

17歳で『リンゴの罪』でマンガ家デビューした竹宮惠子。代表作は『風と木の詩』、『ファラオの墓』、『地球へ…』など。現在、京都精華大学で学長をつとめる。

Chapter #02愛の自由を求め生まれた少年愛

日本のマンガ・小説に、男性同士の恋愛をテーマにした独自の作品ジャンル、ボーイズラブがある。読者にはゲイの男性が多いと思われるかもしれないが、読者も作者もほとんどが女性なのだ。この背景には、ボーイズラブの原型である70年代の少女マンガにおける「少年愛」が、女性の恋愛・性愛表現の自由を獲得するために生まれたという経緯があるのだという。
「少年愛は、少女マンガ家が女性のセクシュアリティに関する規範を回避し、自由な恋愛を描くために生まれたものです。竹宮惠子は、少年愛の金字塔『風と木の詩』を描いたことで知られていますが、彼女の作品は少女や女性に対するジェンダーとセクシュアリティの規範への抵抗の産物だと言えます。同作が発表された70年代の日本では家父長制が強く、女性は社会において強く抑圧されていました。恋愛やセックスを描く場合、例えそれが男女間のものであったとしても、女性は受身であるという規範に制約を受けます。しかし、それを男性同士の恋愛として描くことで、この問題が回避できる。こうして少年愛というマンガ表現を生み出したのです」

『The Hite Report』。性体験や、セックスにおける女性の従属的な役割に対する意見など、アメリカ人女性3000人のリアルな声を集めた書。

『風と木の詩』は、19世紀後半の南フランスの全寮制の学校を舞台に繰り広げられる物語だ。ウェルカーはこの舞台設定に、ヘルマン・ヘッセの作品やルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)などの世界のトランスフィギュレーションを見出す。「当時の日本は性の自由をヨーロッパ的世界観に求めていたのです」とウェルカーは話す。

また竹宮が、西洋に性の自由を見出すきっかけのひとつとなったのは、『一千一秒物語』などの作品で知られる稲垣足穂なのだという。この足穂こそが「少年愛」という言葉を最初に用いた小説家だった。足穂は少年愛を主題としてエロティシズムを論じた随筆『少年愛の美学』を1968年に刊行し、少年愛を描くマンガ家に大きな影響を与えた。

少年愛はその後、読者による少年愛マンガの二次創作「やおい文化」を育み、現在のボーイズラブを扱うマンガや小説などを生み出す。ボーイズラブという言葉は、とあるマンガ雑誌のキャッチコピーに用いられたものだったが、現在は「boyslove」や「yaoi」、「shounenai」として、さまざまな言語に翻訳され、世界中で読者を獲得するコミックのジャンルになっている。
「最近では、アジア諸地域におけるボーイズラブのコミック、小説、実写映画などに関心があります。2017年7月には、東アジアをはじめ、東南アジアや南アジアの国々におけるボーイズラブメディアの研究者を招聘し、神奈川大学でのシンポジウムを企画しています。そして、その成果を英語の論文集としてまとめる予定です」

Chapter #03自由は言葉に始まる

女性解放運動におけるトランスフィギュレーションを読み解く上で重要な資料になるものが、海外出版物の翻訳だ。

1970年代には、日本の女性解放運動であるウーマンリブ運動が起こる。そのきっかけの一つは、1960年代末に全国でさかんになった学生運動「全共闘運動」だった。街頭デモなどに参加するのは男子学生に限られ、女子学生は大学で「おにぎりづくり」に従事させられるという屈辱的な出来事が引き金となり、日本の女性を抑圧から解放すべくウーマンリブ運動の機運が高まったのだ。

この時、海外で読まれていた女性解放運動のバイブルの数々が日本語に翻訳され、紹介される。その先駆けが1971年にアメリカで出版された『Our Bodies, Ourselves』(邦題『女のからだ-性と愛の真実』)だ。女性器、月経、妊娠などのトピックが並び、女性の身体を生理学的に明らかにしている。
「この本の改訂版が1988年に『からだ・私たち自身』というタイトルで新たに翻訳されましたが、その過程で、翻訳者が女性のために新しい日本語をつくりました。従来から用いられていた中国由来の日本語は、女性の身体部分に羞恥的で否定的なイメージを与えており、女性が人前で話すことを妨げていたからです。たとえば女性的な意味を持つ『看護婦』に代わって、中立的な『看護士』(現在では『看護師』)という言葉が用いられたのもこの時です」

『Our Bodies, Ourselves』(左)。フェミニズムが高まりを見せていた1969年にアメリカ・ボストンのエマニュエル大学で女性活動家たちが開いたワークショップから生まれた書。彼女らが自らの身体についての経験を、医師と共有し議論したものが商業出版された。日本において同書はさまざまに翻訳され、今も読み継がれている(右)。

さらに1976年には、アメリカの3000人の女性を対象とし、性の実態を取材したシェア・ハイトによる『ハイト・リポート』が注目を集め、日本のレズビアンコミュニティに影響を与えた。日本でも1987年に女性を愛する女性・レズビアン234人を、『ハイト・リポート』同様に取材・調査した『女を愛する女たちの物語』が出版される。これは日本で初めてレズビアン目線による、レズビアンのための言葉を本にしたものだと考えられている。
「この本は『ハイト・リポート』のトランスフィギュレーションだと僕は考えてます。日本人は、ただ『ハイト・リポート』を輸入しただけではなく、その調査方法を生かし、独自の表現をつくりあげたのです」

Chapter #04女性の自由はまだ遠い

こうした様々な試みの中で、女性はどれだけ自由になったのだろうか?ウェルカーは「女性が自らの性のことを多少は話しやすくなった」としつつも、「日本の女性はまだ社会的に自由になっていない」と話す。
「日本の国会議員、メディアに登場するコメンテーター、影響力のある人物も依然としてほとんどが男性です。テレビで男性が少し卑猥な発言をしても咎められないけれど、女性は許されない。なぜ許されないのか。あなたには答えられますか?」

ウェルカーは、アーティストのろくでなし子(五十嵐恵)が逮捕された事件にも、強い女性への抑圧を感じるという。同氏は女性器を表現媒体として様々な作品を発表した結果、2014年7月、わいせつ電磁的記録等送信頒布の罪に問われた。
「女性解放運動に関する本や、少年愛マンガが教えてくれるのは、日本の女性の、自由のための戦い方なのです。作家や翻訳家たちは、最初は西洋文化の自由に憧れて、それらを採り入れようとしたのかもしれない。しかし、彼女らはそれを自分の武器にし、戦うことを選んだのです。ただ憧れるだけではなく、この国で、自分たちの自由を手にするために」

研究室の本棚には、マンガの単行本に雑誌、同人誌までがずらりと並ぶ。

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