木原 伸浩

2016.2

神大研究者

木原 伸浩 先生

生物の営みを、分子の化学で再現する

誕生する時も、毎日の食事の時も、私たちの生命は、体内の多種多様な分子の相互作用によって維持されている。
オーケストラが様々な楽器の演奏によってひとつの音楽を生み出すように、それら分子は、それぞれの持ち場で小さな働きをすることで、ひとつの身体をつくりあげる。
そんな分子の振る舞いを、化学で再現しようとするのが、木原伸浩の挑戦だ。

木原 伸浩 先生

Nobuhiro Kihara

理学部 化学科
有機化学、生物有機化学
※2016年2月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01生物が持つ、驚異の「化学システム」

時計職人の手によって複雑に組み上げられた腕時計を素人が分解すれば、まず元には戻せない。もし、それらの部品をフラスコに入れて一振りし、元通りになったとしたら、誰もが「これは魔法か?」と驚くにちがいない。

しかし私たちの身体を「化学システム」として見てみると、そこは部品が勝手に製品となるような驚きのしくみにあふれている。
「ヒトの誕生は受精卵からの “発生” に始まります。胎内で身体が形成される時、細胞内では、細胞核の情報を元に様々なタンパク質がつくられます。タンパク質は『リボソーム』と呼ばれるタンパク質工場から放出されると、自らあるべき場所へと移動し、自動的に働いて、身体を組み上げていきます。タンパク質はヒトの身体を構成する部品であると同時に、ヒトを形づくるための頭脳でもあるのです」

まさに私たちは、フラスコの中で自動的に組み上がった時計のように誕生しているのだ。化学の目を通して見た胎内は、分子が自らを正確に配置し、誕生において起こるべき反応が自律的に進行する「反応場」なのだ。

酸化分解性ポリマー。塗料に応用すれば、好きな時に塗って、消せるペンキの誕生だ。環境に配慮した分解性の高分子は数多く生み出されているが、酸化分解性ポリマーは分解するタイミングを操作できること、さらに分解後にどんな物質に変化するかが明確なことが特徴。便利な新素材であり、環境にもやさしい。

Chapter #02分子は語る、消化から細胞分裂まで

「生物の中では普通に起こっていることなのだから、人間の手でつくりだすこともできるはずだ」。木原伸浩教授の研究テーマは生物が「反応制御」する分子の機能である「認識」と「応答」を人工的に実現することだ。

たとえば木原の視点から私たちの食事を観察してみよう。食べ物を食べると、消化器官はそれらを消化し、必要な栄養素を採り入れる。この時、私たちの体内では加熱したり光をあてたりすることなく、おだやかな条件下で食べ物が分解されている。

「体内では様々な消化酵素が働いています。たとえばタンパク質の消化では、消化酵素が“分子間相互作用” によってタンパク質のアミノ酸が繋がっている部分を認識し、分解します。タンパク質という分子が認識され、消化という応答が起こっているのです。こうした反応場が正しく機能しているからこそ、食べ物だけが消化されるのです」

さらには細胞分裂も、分子の動きに着目することで、捉え方が変わってくる。細胞分裂の際は、細胞の核にある遺伝子が2倍になり、それぞれが新しい細胞へと均一に受け継がれて2つに分裂する。この際、化学反応で遺伝子を1組ずつ一方向へ引っ張る分子「分子モーター」が働くという。そして木原は人工分子で初めてこの機能を再現することに成功している。

「私たち人類の祖先が45億年前に海の底で生まれた時は、試行錯誤だけで乏しい “道具”をやりくりして、生命を実現していました。しかし今、私たち人類には、頭脳と、限りない道具としての科学があります。生物のシステムから特定の機能を抜き出し、人工の化合物でその機能を再現すれば、生物では不可能な分子制御を設計し、実現することも可能でしょう。それが、私の研究なのです」

実験室には様々な有機合成をおこなうための装置や試薬が並ぶ。実験装置の中には、「最適なものがなければつくればいい」と、木原が自作したものもある。

Chapter #03世界の見方を変える化学をつくる。

生物の機能を人工的に再現するためには卓越した有機合成の力が欠かせない。木原は、ミクロの輪がつながった鎖状の物質「ポリカテナン」など、希少性の高い物質を次々と生み出してきた。

そんな木原はある日、偶然にも「酸化分解性ポリマー」という画期的な物質に出会った。
酸化分解性ポリマーは、市販の塩素系漂白剤をかけると溶けてなくなるという性質を持った新素材だ。「望むタイミングで分解できる材料として、応用が期待されています」と木原は話す。好きな時に接着・脱着ができる接着剤や、何度も塗り直しができる塗料が誕生するという。

この画期的機能を持った新素材は、炭酸ガスからポリマーをつくろうとした際の失敗から偶然生まれたものだ。
「炭酸ガスのポリマーがつくれたら面白いなと思ったんです。爆薬になってしまう可能性もありましたが」

体積が音速を超えて膨張することを爆発という。炭酸ガスからできた固体のポリマーは、気体の炭酸ガスに分解され得る。その際、急激に体積が変化するため、爆発する可能性があるのだ。しかし、これは同時に高エネルギー化合物ということでもある。

「しかし実際につくってみると、できた途端に分解し、消えてなくなってしまいました。そこでヒドラジンという無機化合物の性質を利用して同じようなものをつくってみたところ、爆発物どころか、まったく別の可能性を持った酸化分解性ポリマーが誕生したのです」

木原が分子の認識と応答の研究を構想したきっかけは、自身が大学院でおこなっていた分子認識の研究だった。木原は、「体内では分子の認識が次の認識への応答を引き起こすわけだから、認識の次は応答の研究だな」と思っていたという。研究の難易度の高さから、世の中の誰もが分子への応答を研究していなかったことも後押しした。

「『認識に応答し、反応する分子』という概念を実現することが、化学にとって大切だと思って研究しています。新しい概念は、世界の考え方・捉え方を変えますから」
生物の分子システムは、化学から世界を変えてしまう可能性すら持っているのだ。

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