2015.7
神大の研究者
大島 希巳江 先生
落語、世界を笑わせる。
「笑い」は人類の最も古い共通言語かもしれない。
笑いは国境を超える。そしてユーモアは、人を繋ぐ。
日本のユーモアの古典であり、今も新しく在り続ける落語。
大島希巳江は「英語落語」でその可能性を世界へ広げる、噺家であり、「ユーモア学」の研究者だ。
“ユニバーサルユーモア”としての落語
―行き倒れだ。
見慣れた小路に人だかりができている。「く…熊じゃねえか ! 」。死体の前で声を上げるのは八五郎。熊こと熊五郎は八五郎の親友だ。「こりゃあ…あんたの知り合いかい?」。人だかりの中から町人が尋ねる。すぐさま八五郎「そうだよ ! 熊はおれの兄弟みたいなもんだ ! 」と泣き崩れた。
「気の毒なことで…」町人が慰めの声をかける。しかし八五郎、「こんなになっちまって…熊はうち(長屋)にいる。きっと自分が死んだのも忘れて寝てやがるに違いない。すぐに連れて来てやるよ ! 」と言うなり立ち上がり、足が車輪にでも化けたかのごとくに土煙を上げて走り去る。
はて、ここにいるはずの死人を連れてくるとはこれ一体…。
今、日本の落語がアメリカ、イスラエル、シンガポールといった海外で好評を博している。世界を笑わせる寄席、「英語落語」だ。
その高座に上がるのが大島希巳江教授である。「ユーモアの定義は “常識からの逸脱”。落語に世界を笑わせる力があるのは “ユニバーサルユーモア”、つまり世界中の誰にでも理解し得る、普遍的で、人間としての本質をついたユーモアを持っているからです。落語の中で最も多いユニバーサルユーモアは“Stupidity”、つまり笑いを誘う “人の愚かさ” を題材とした小咄です。定番落語である冒頭の『粗忽長屋(そこつながや)では、目の前で死んでいるはずの親友を連れてくるために長屋へと走る慌て者(=粗忽者)の八五郎のばかばかしさに、どこかほっとして笑いがこみ上げてくる。こうした要素を抽出しながら小咄をセレクトし、翻訳と創作をすることによって、英語落語は生まれています」
落語の小咄の題材は男女問題や死別、商人との馬鹿話など普遍的なものばかりだ。古い言葉遣いに戸惑うことはあっても、現代を生きる私たちでもふと笑ってしまう。それは異文化の外国でも同じなのだという。
とはいえ世界からは「真面目」「ユーモアのセンスが無い」で通っている日本人が大昔に生み出したユーモアで世界を笑わせようとは、まるで落語のように滑稽な話だ。しかし「古いからこそ可能なこと」と大島は続ける。
「約400年前、日本に古典落語は2500程度存在したと言われています。それが今は350程度にまで自然淘汰されています。現代にも普遍的に通用するユニバーサルユーモアを持っているものだけが、長い時間の中で生き残り、今の落語があるのです」
落語が国境を超えられるのは、時間を超えた「ユーモアの遺産」だったからなのだ。
ユーモアで変わる日本人
大島の英語落語は「笑顔の日本人のイメージを広げたい」という気持ちから始まった。「ユーモア研究で『笑いは敵をつくらず』というセオリーがあります。では、リアクションが薄く、ユーモアに欠ける “笑わない日本人” のイメージを持たれがちな私たちの印象はどうなるのか。この国際コミュニケーション上の日本人の状況を変えたいと思ったのです」。当時26歳だった大島は、日本のユーモアを研究する中で落語と出会う。関西の落語家を集めて英語落語をつくり、世界を公演して回るうち、自らも高座へ上がるようになった。今では公演の合間に、各国の小学校で「一席やらせてもらえないでしょうか ? 」といわば “ゲリラ寄席” も行っているという。
「世界の子どもたちに、『ある日突然学校に落語をしにやって来た面白い日本人』を記憶して、大人になってもらいたいのです。大人になって社会に出て、政治家や企業人になった彼ら彼女らは、きっと日本人のことをユーモラスな国民だと思ってくれるはずなので」
英語落語は日本でも上演されている。外国人はもちろん、帰国子女、若者が多く訪れる。その多くが、後に一般的な落語の寄席にも通うという。つまり、英語落語が伝統落語と若者を繋ぐ架け橋になっているのだ。「うちには英語落語から流れてきた人もいるんだよ」と伝統的な落語界の師匠らにも好評だ。
さらに大島は、企業のユーモアも変えようとしている。英語落語等で培った、「常識からの逸脱」を方法論化し、企業や組織向けのユーモア力向上を目指す企業研修として展開しているのだ。「日常の中で、怒りやストレスを感じるのは大きな損失です。それらはその人を蝕むだけですから。その打開策が、ユーモアがもたらす柔軟性とクリエイティビティだと私は考えています。面白おかしく物事を受け止められると、イライラも笑いに変わる。どんなことでも笑い飛ばせるようになると、自分が楽しくなります」。研修には大企業の管理職や省庁の関係者などが参加している。
ユーモアの古典である落語を世界へ、社会へと伝える大島がつくりだす笑顔には、古さに裏付けられた新しさがあった。