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2023.08.03

ファブラボみなとみらいで「FABでよみがえる鎌倉の日常」を開催〈前編〉

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7月8日(土)、本学みなとみらいキャンパス1階で運営する「ファブラボみなとみらい」にて、「FABでよみがえる鎌倉の日常」を開催しました。鎌倉市の協力により行われた本イベントは、鎌倉市が所蔵する文化財「木造十二神将立像戌神」「板締染型板」を用いて、参加者が歴史民俗資料の体感を目指すワークショップです。(※)

イベント前半は鎌倉国宝館、鎌倉歴史文化交流館の方々に、資料とそれにまつわる文化的背景についてご説明いただき、後半はデジタルデータにより復元された「板締染型板」を用いて、無地のトートバッグをデザインするワークショップを行いました。

今回は文化財、3Dスキャン、イベントの様子について、2回に分けてレポートします。
※本イベントは、2021年9月に締結した鎌倉市との包括連携協定に基づき開催されました。

神奈川県指定文化財 木造十二神将立像戌神 について

「木造十二神将立像戌神」は、昨年の大河ドラマの主人公である北条義時が建立した大倉薬師堂の薬師如来を取り囲んでいた十二神将のうち、戌神に関する逸話をモチーフに造られたものと考えられます。彫りの深い顔立ちと特徴のある髪型、躍動感と力強さを感じさせる立ち姿が印象的です。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によると、「戌神」には、北条義時に関する以下の逸話があります。
1218年、義時は鎌倉幕府三代将軍源実朝の鶴岡八幡宮参拝に付き従った後、戌神の夢を見たことで大倉薬師堂の建立を行い、薬師如来像と十二神将を安置しました。
翌年、実朝が右大臣に任命され鶴岡八幡宮にてその拝賀式が行われた際、義時は楼門のそばにいた白い犬を見ると急に体調を崩し、役目を源仲章に代わり屋敷に戻りました。するとその後の拝賀式の帰途、実朝・仲章の両名は公暁に暗殺されてしまい、その場に居合わせなかった義時だけが助かりました。
その後、義時が大倉薬師堂にお参りに訪れると、事件のあった頃に戌神像が姿を消していたと聞くのです。

暗殺事件の当日に、戌神は白い犬に姿を変え義時の命を救った、という逸話です。

鎌倉市指定有形文化財「板締染型板」について

「板締染型板」に描かれている木々
「板締染型板」に描かれている木々

「板締染型板」とは、板締め(※)に用いられていた型板であり、鎌倉時代後期の竪穴建物から出土しました。文様には桜・楓・柳・松が描かれており、これらは当時、蹴鞠(けまり、しゅうきく)を行う場所に植える代表的な木々でした。蹴鞠は鎌倉時代に貴族から武士へと広まりを見せており、鎌倉武士に貴族的な文化が広がっていました。鎌倉にも、蹴鞠の文化に親しみ、この文様の意味を理解する人がいたことがうかがえます。

そのほかにも鎌倉市内では多様な文様が描かれた物品が多く出土しており、板締染型板を含むこれらの出土品は、質実剛健な武士のイメージを転換する貴重な資料となっています。
※板締めとは、生地を2枚の木版で挟み、間に染料を流し込んで染める技法です。日本では主に、古代から近世にかけて広く用いられました。

歴史民俗資料の3Dスキャンについて

3Dスキャンの準備
3Dスキャンの準備

上記のような歴史民俗資料ですが、出土すると劣化が進んでしまいます。そこで、3Dスキャンを活用します。専用の機器を用いて立体的なデジタルデータとして保存することで、撮影時の状態のまま、外形形状とその色味を保存することが可能です。また、データ化したものを3Dプリントすることにより、実物と同じようなかたちのものを、気軽に触りながら理解することができる、というメリットもあります。このように、歴史資料のデジタルデータ化には様々な利点があるため、近年注目を集めています。

今回は、ワークショップを行うために「板締染型板」の3Dスキャンおよび3Dプリントを試みました。しかし、撮影したデータを3Dプリントしたところ、現物の繊細さを再現することができませんでした。そのため今回のワークショップでは、画像データを基にしてレーザー加工用データを作成し、「板締染型板」のスタンプを制作するに至りました。



後編の次回は、実際のワークショップの様子をレポートします。