2021.12

神大研究者

六角 美瑠 先生

斬新な家のかけた魔法

建築家を父に持ち父が設計した斬新な家で育つ。
その家が少女にかけた魔法は
ある日、“風景の建築家”を生み出した。

六角 美瑠 先生

Miru Rokkaku

工学部 建築学科
建築デザイン
※2021年12月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01斬新な家

高名な建築家であった父、鬼丈が若き日に自分たち若夫婦の住まいとして建てたのが「クレバスの家」である。建物の真ん中に氷河のクレバスのように裂けた吹き抜けの空間があり、そこには1 本の巨大な大黒柱が立っている。六角は都内の住宅地にあるその斬新な家に生まれ育つ。
「家の中には象徴的な斜め上に吹き抜けた深い鋭角な空間(クレバス)があって、昼間は光が上部からグラデーションのように減衰しながら差し込んで、夜は深い闇が奥に奥に続いていくようにも感じます。まさに陰影礼賛のようですね。小さな家ですが、奥行きのある距離感や視覚的な無限性が内包され、住宅スケールを超えた空間力のある建築でした」

もちろん、父が建築家であることの影響は大きいが、何よりもこの斬新な家に暮らしたこと自体が、六角に建築家への夢をかきたてたと言う。
「子どもの頃、このクレバスの空間には、いつも勇気づけられていた気がします。学校でいやなことがあって家に帰ってきても、ぱっとドアを開けた途端、目の前に大黒柱と迫力あるパースペクティブな空間が一気に広がると、小さいことでくよくよしてても仕方がないという気持ちになるんです。家という生活感のある日常の中に非日常の空間が埋め込まれてることの大切さとその空間性にとても興味が湧きました」

外観のフォルムではなく、建物の中で何を感じるかという空間経験こそが重要であり、たとえば壁はただの仕切りではなく、光のグラデーションをはじめいろいろな現象をキャッチするスクリーンなのだ。そんな現在の六角の建築に通ずる考え方を、六角は自分が暮らす家から自然に学び取っていった。

六角に大きな影響を与えた、父・六角鬼丈の設計になる自邸「クレバスの家」。ブランコに乗っているのは4歳の六角だ。

Chapter #02風景を家に折り込むということ

六角の処女作といえる住宅「ORU 折織居」の外観と模型。壁が一枚の紙のように折り込まれているような構造になっている。

それはアートなのか、実用物なのか。建築とはとても難しい領域だと六角は言う。
「建築は、屋根の下に機能性のある空間があれば成立します。住宅であれば、生活ができるスペースがあればいいと思われるかもしれません。でも、私は建築を作る上で、その土地や環境を読み、そこでしかできない建築のあり方を探りたいと思っています。加えて、芸術へと引き上げる空間性やコンセプトを作り込みたいと考えています」

六角のテーマは「風景」だという。とはいえ、それは窓を開けるといい景色が見えるといった「風景」ではない。
「風景の『景』を使った漢字には、春景、秋景とか、あるいは光景とか、いろいろな言葉があります。『景』というのはさまざまな条件の中、時間や空間と連関し、人の感性に響くような場面が立ち現れることだと思います。たとえば、ある瞬間に光が線的に差し込むような象徴的な空間であるとか、建築という一つの器が、環境のいろいろな要素を現象としてキャッチできるようなものになる。そして、そのような特別な場面を生活や活動の中で体験する。それが建築における『景』なのではないかと」

その発想は、六角が修士課程のときに設計した『ORU 折織居』という名の住宅ですでに具現化されている。山中に建つこの六角の処女作ともいえる家はその名の通り、あたかもたった1 枚の紙を“折る” ようにしてすべての壁ができあがっている。
「森に囲まれた自然環境のよい場所に、都市中の箱のような建築を置きたくはありませんでした。そこで、その土地の方向性や環境を読み込みながら、木々の間に1 枚の壁を幾度か折り込んで、その上に屋根を一つの面でかけて空間を作ってみました。折り込むことで壁の表裏が反転したり、折り込みの角度によって遠近感が強調されたりと、多様な場面を空間体験として、『景』を織り込むことを試みました」

それはまさに六角の暮らした「クレバスの家」からのインスピレーションともいえる。

Chapter #03茶室の空間性・世界観への憧れ

六角の家は工芸家の家系でもある。曾祖父の紫水は岡倉天心に学んだ漆芸家であり、祖父の大壌もまた漆芸家で東京藝術大学の教授を務めた(ちなみに六角が藝大の大学院にいたときは父・鬼丈が教授だった)。六角が細部の美を意識する工芸的な視点を大事にするのは、そのためだろうか。
「近代の建築家のコルビュジェやイタリアのカルロ・スカルパの建築作品は、工芸的な見地からも素晴らしいと思います。彼等のようにディテールまで凝ってデザインできたらいいなと憧れます」

日本ではプリント合材やサイディングを使った既成品住宅が増えたことで、本物の素材を知らない若者が増えているという。かつては職人たちが取っ手一つにまで素材や細部をこだわり、工芸的な美にあふれた日本の建築であったのに、若者たちがマテリアルの質すら理解しないまま建築家になってしまうことを六角は恐れる。
「いま、研究室の部屋を学生と一緒に改修しているところなんです。丸鋸や電動工具を使って床を作るところから始めています。自分たちで漆を床に塗ってみたりしながら、素材のデザイン実験もしていこうと思っています。左官塗りなども職人さんに学んだりしながら学生と腕を鍛えて、コロナが収まったら地方の古民家改修などまちづくりプロジェクトにも発展させていきたいと思っています」

日本という小さな島国に多くのワールドクラスの建築家が育っているのはすごいことだと六角は言う。建築が芸術の表現媒体としてここまで認められ、創造され続けている国は少ないとも語る。
「私は茶室に関心があります。スケールを超えた世界観と五感を研ぎ澄まし茶を味わうことに特化した究極の空間が茶室です。茶室のように人の感性に響く空間を創造することができたらと思います」

クレバスの家に六角はいまも住む。自室はクレバスにある。「せっかくの休みの日でも、結局、クレバスの焦点を眺めながら建築のことばかり考えちゃってるんです」と六角は苦笑した。

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