2021.12

神大研究者

内田 青蔵 先生

住宅の歴史から
建築の未来が見える

住まう人間の思いという視点から
様式や技術に偏っていた建築史を革新。
スクラップアンドビルドは終わり
キープアンドチェンジの時代がやって来る。

内田 青蔵 先生

Seizo Uchida

工学部 建築学科
日本近代建築史、日本近代住宅史
※2021年12月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01プライバシーとは“奥まりたるところ”

日本で最も権威があるとされる日本建築学会賞を、内田は2017年、『わが国の住宅の近代化に関する一連の歴史研究』という論文業績で受賞する。明治以降の日本の住宅の歴史を「洋風化」という視点から多角的、多層的に描いた革新的な研究だ。快挙である。しかも驚くのは、その論文を貫く発想が、すでに彼が大学生の時に生まれていることだ。
「卒業したら田舎に帰って小さな設計事務所を開いて、住宅の設計で身を立てようと考えていました。そのためには住宅についてのきちっとした知識が必要だろうと。その時、ひょっとしたら住宅の歴史を勉強することが、未来の住宅を考えることにつながるんじゃないかと思ったんです」

歴史といっても竪穴住居とか寝殿造とか、そんな大昔のものではない。明治以降の近代である。
「4年のゼミで日本の近代の住宅の研究を選び、明治時代に出版された建築関連の雑誌を読み始めたのですが、まずプライバシーという言葉がいつから使われ始めたのかが気になりました」

現代ではプライバシーという概念は住宅設計においては欠かせない。でも、いったい誰が日本で最初にプライバシーなる考え方を取り入れて住宅を設計し始めたのだろう。
「わかったのはそれが明治20年代後半だということ。『奥まりたるところ』と訳されていて、『プライバシー』とルビが振られていました。そんなふうに研究を続けていくと、これまで誰も本に書かなかったようなことがわかっていく。自分が見つけたことを、それが取るに足らないことかもしれないけれど、きちっとまとめて多くの人が利用できるようにしておくこと。それが自分の義務かなと思ったんですね。なにかしら、自分だけが見つけた世界のような喜びもあり、それをみんなに伝えたいなと。それで研究の世界に入ったんです」

Chapter #02“洋風化”とは洋館の
“和風化”だった

建築史は様式の歴史や技術の歴史として語られることがほとんどであり、工学系の世界では社会学的、民俗学的な視点は大事にされてこなかったという。だが内田は、住宅は人々の生活が営まれる場であり、様式が変わったから生活が変わったのではなく、生活が変わったから様式が変わったのだと考える。
「建築には美しさ、災害などに耐えうる力学的、材料的な要素などが必要とされますが、やはり人間がそこで安らかに過ごせる空間を作るということが最大の目的ですから、その時代の人々はどんな住宅建築が居心地よいと感じたのか、設計者はどんな生活をしてほしいと願ったのか、そういう理念を探ることが重要です。それが工学系ではあまり語られてきませんでした」

たとえば先ほどのプライバシーだ。西洋から入ってきたこの新しい概念、新しい文化を、音が筒抜けなのが当たり前だった家に住んでいた当時の日本人はどのように受け取り、どう建築に取り込んでいったのか。そのことで日本の住宅はどう変わっていったのか。そんな視点が大事ではないかと内田は考えたのだ。それは近代化によって大きく変化していった日本人の意識と建築との相関を描き出す壮大な試みでもある。そして内田の選んだ視点の一つが「洋風化」だった。
「最初に日本の住宅の洋風化を推し進めたのは、大学教育を受けた中流層の人たちでした。彼らは日本の伝統的な住宅は時代遅れと考え、ヨーロッパやアメリカの住宅をモデルに洋風の住宅を作るわけです。ところがそれまで畳に蒲団をしいて寝ていた人たちが、突然ベッドで寝ても寝心地が悪い。すると彼らは洋室に畳を敷く。特に大正時代だと女性はまだ着物を着ていましたから、畳がないと着物がたためませんし。つまり、洋館の中にそれまで否定していた和風の要素を再び取り入れることで生活の場を作りあげていった」

明治以降、急速に資本主義化されていく日本社会で、さまざまな階層や新しい価値観が生まれていく。それに伴って生じる建築家や建築産業の大きな変化。そして西洋への日本人の複雑な眼差し。それらがどのように絡み合っていったのか。内田の研究はそのダイナミズムを、住宅を通じてあらわにする作業でもある。日本建築学会賞の授賞理由に「明治以降の我が国の住宅の近代化過程を、社会・生活・形態・技術の相互連関する状況から読み解いた一連の論考である」と記される所以だ。

最初の著書『あめりか屋商品住宅-洋風住宅開拓史』(住まいの図書館出版局)をはじめとした内田の著作。

Chapter #03美しいものが人間を豊かにする

内田は現在、建築学会で「和室を世界遺産にしよう」という活動に携わっている。それは日本の伝統的な畳文化を見直そうという取り組みでもあるが、内田がこのところ唱えている「キープアンドチェンジ」という考えと響き合うものでもある。
「現代社会を造りあげてきたキーワードの一つがスクラップアンドビルドですが、その時代はすでに終わり、これからは今あるものをどのように有効活用するかという時代だと思うんです。それをキープアンドチェンジと僕は勝手に名づけているのですが、古い建築は壊さずに維持して必要な人が利用すればよい。建築家には、新しい作品を作るだけでなく、今ある建築の魅力やどのような思いで作られたのかを読み取り、それらを再び人々に伝えていくことのできる能力が求められていると思います」

昭和7年に建てられた洋館、旧本多忠次邸を東京から岡崎市に移築保存する際に、学生と一緒に実測して作成した細部がわかる手書きの建築図面。当時の住宅の洋風化について、調査で得られた貴重な資料だ。

若い世代が農村の古民家や京都の町家に惹かれ、それらを改造して住む。それもキープアンドチェンジである。
「彼らにしてみれば、古民家や町家も伝統的な文化というよりも、むしろ現代的な魅力として映っているのかもしれない。ひょっとすると、畳がない和室というものも彼らにとってはありうるのかもしれません。それでもいいんです。これまで脈々と培われてきたものが残り、古いものを活用していくという文化が芽生えていくのであれば」

そもそもなぜ建築を選んだのかという質問に、内田は絵描きであった父親の影響を挙げた。
「美しいものが人間を豊かにするということを、絵を描いている父親の姿から子どもながらに知ったからかもしれませんね。父親からは、『お前は絵が下手だから、絵ではメシを食うなよ』と言われましたけど」と内田は顔をほころばせた。

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