2021.3

神大研究者

西谷 和彦 先生

植物は「 人間とは何か」を
教えてくれる

もしかすると動物以上に不可思議で
未解明のままなのが植物かもしれない。
そんなフロンティアに挑むことで
植物学者は人間の謎への答えを探す。

西谷 和彦 先生

Kazuhiko Nishitani

理学部 生物科学科
植物生理学、植物細胞壁生物学
※2021年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01陸上植物の本質は細胞壁にあり

考えれば考えるほど、植物とは摩訶不思議な生命体だ。脳も神経も心臓もない。だのに意志があるかの如くに、発芽し、成長し、時が満てば精妙で美しい花を咲かせ、子孫を残す。西谷が言う。

「5 億年前に、淡水域に生息していた単細胞の藻類が陸に上がり、多細胞体に進化したのが植物だと考えられていますが、植物は生命体を維持する仕組みとして、動物のような中枢神経系は持たない方向に進みました。それなのに、朝顔の蔓は支柱の存在を察知してくるくると巻き付きながら伸びていく。あるいは、森の中の林床に生える植物は、周りの菌に感染しませんが、一度死んでしまえば一晩で植物の遺骸はカビだらけになる。あたかも神経系や免疫系があるかのように生きている。この苛酷な地上で生きるために何億年もかけて身に付けてきたこの植物の仕組みの、実はその多くがいまだに未解明なままなのです。言いかえれば、それこそが植物研究の基盤であり、醍醐味なのですね」

そして半ば冗談に、植物は人間を見下しているかもしれないと、こう言う。

「今、その植物が陸上を席巻しています。地球上の生物を構成している物質量──バイオマス(生物量)の大部分は植物です。われわれ人間は万物の霊長と自認していますが、もしも宇宙人が望遠鏡で地球を観察したら、ほとんどが植物で、ときどき人間がゴミみたいに見えるだけですから、地球の主は植物だと思うでしょう。なにしろ、地球上で一番大きい生物は、地上部だけでも100メートルを超える高さに繁る裸子植物です。シロナガスクジラなどくらべものになりません。そういう意味では、我々はずっと植物に見下されているのかもしれませんね」

自分たちの高度な仕組みが人間ごときに分かるものではないと言われているようだと西谷は語るが、だからこそ西谷の探求もやまない。
「水分や養分を運ぶ維管束が、信号情報を運ぶ通路にもなっていることはよく知られていますが、これだけでは環境に反応する植物の情報能力をうまく説明できないのです。そこで注目されるのが植物の全ての細胞にある細胞壁そのものの働きです。植物が陸に上がって進化する過程で新たに獲得した最も重要な機能が陸上の植物に固有の細胞壁です。海洋の藻類と陸上植物の決定的な違いはこの細胞壁の働きであり、その構造、つまり細胞壁をつくっている特徴的な分子であるセルロースとその周りの多糖類なんですね」

植物は、動物の中枢神経にあたるものとして、個々の独立した細胞が外部の環境を察知して応答していく、分散型制御というシステムを持っているのだという。
「神経系に対応するものが細胞壁の持つさまざまな探知機構です。動物の筋肉や骨格、感覚器や内分泌、免疫系などの器官に対応する機能も、すべて細胞壁が担っている。その細胞壁の働きや構造、言いかえればセルロースなどがどういう役割を果たしているかはまだよくわかっていません。そのセルロースがどんな分子構造をしているかというのも実はまだ未解明な部分が多いんです」

人体で言えば神経があり、血液があり、免疫細胞がある、その全体をたった一個の細胞壁が担う。その細胞壁を最新の電子顕微鏡で見ると、内部は実に複雑きわまりないのだと西谷は言う。だが、その複雑さの背後にはセルロースを中心とした細胞壁を構成する多数の分子の深遠きわまりない秩序があるはずだ。
「90%の植物からなる生命圏。この世界を植物が作るに至ったその秘密が、細胞壁がどのようにしてできてきたかを、あるいは細胞壁のいろいろな仕組みを明らかにできれば、知ることができるのではないだろうか。そういう視点で見れば、一見なんの変哲もない植物なんかをなぜわれわれが研究しているのか、その意味がわかってもらえると思います」

Chapter #02はからずも持続可能な新素材が

「2019年、西谷は植物科学の分野で大変名誉のある日本植物学会賞「学術賞」を受賞した。この細胞壁への研究、特にセルロースに接着するキシログルカンという分子を切ったり繫いだりを可能にする酵素である「XTH」と、セルロースそのものに作用する「CET」の発見が大きく評価された。

「セルロースが主成分である細胞壁の形が変わる仕組みを探求していくと、たんぱく質や酵素の働きでセルロースとセルロースとの間の相互作用のしかたが変わり、小さな力でシュッと伸びることがわかりました。ブドウ糖なのにスチールのように硬いのがセルロースです。それは植物が持っている酵素でしか分解できない。ですから人為的にセルロース微繊維を切って繫ぐことはできないと考えられていました。それが酵素の仲間の中にそういう働きを持ったものがあるのを、わたしたちが見つけました。その酵素を使って人間がセルロースを繋ぎ替えたりすることができる可能性が出てきたわけです」

これがいかに大きなインパクトを持つ研究であるか。現在、断面積あたりの破断強度がもっとも大きいのは炭素繊維や鋼鉄とされているが、実はそれよりもセルロースのほうがずっと強度がある。つまり、セルロースを自在に加工できれば、さまざまな場面で持続可能であるこのセルロースを素材として使えるようになるわけである。
「植物という何の役にも立たないような研究をやっていると、こういうことが起こるんですね。これが基礎科学の本来の姿なのでしょうか」と西谷は笑う。

これはイギリスの古書店で入手した、17世紀に出版された貴重な植物学書『THE ANATOMY OF PLANTS WITHAN IDEA OF A Philosophical Historyof Plants』。

Chapter #03植物に寄生する植物の不思議

なぜだか、子どもの頃から科学者になりたいと思っていたという。小学校の時に父親が買ってくれた顕微鏡で、毎日、近所の溜め池で採取したプランクトンを観察していた。すると中学では理科の先生が『日本淡水プランクトン図鑑』を教えてくれた。これが西谷が生物学へと向かう道を決定づけた。

「大学生の頃からわたしは理学としての植物学を研究しているわけですが、それはなぜなのか。最終目的は自分自身なんです。自分とは何か? あるいは自分も含めた人類とは何か? はたまた、精神を持ち、ものを考えている生命とは何か? そういう本質的なことに、わたしは興味があるのですね。それなら、動物を研究すればいいと思うかもしれませんが、わたしは植物なのです。人間ともっとも対極にある植物を調べることが、実はわれわれ自身をもっともよく観ることができる方法なのではないかと思うんです」

今後の研究テーマとして、植物に寄生する植物のネナシカズラに強く惹かれるという。
「植物が植物に寄生するという、奇想天外な植物がネナシカズラです。植物は自分で光合成をして初めて植物なのですが、ネナシカズラは光合成をしません。また、大地に根をつけて初めて植物なのに、自分でわざわざ根を退化させたんです。発芽した直後に他の植物の上にかぶさって寄生し、光合成を行っている宿主から“甘い汁” を吸うように進化したのです。わたしの予測では、恐らくこの植物は1 千万年後ぐらいには、風に吹かれて空を滑空しながら、宿主から宿主をわたりあるく植物になるんではないかと思います」
まさに、考えれば考えるほど、植物とは摩訶不思議な生命体である。

小学校のときに父親が買ってくれた顕微鏡をいまでも大事に持っている。病原菌が見たかったのだというが、もちろん、実際はプランクトンばかりを見ていた。

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