2018.11

神大研究者

山家 京子 先生

人間と場所が織りなす力を
都市計画に持ち込む

都市計画の考え方に
パラダイムシフトが起きたという。
拡大から縮退へと時代が変わってしまったからだ。
独特な“場所性”という考え方と
コンパクトシティのコンセプトとで
そんな時代の新たな都市計画のあり方を
山家は探索する。

山家 京子 先生

Kyoko Yamaga

工学部 建築学科
都市計画、まちづくり
※2018年11月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01学生たちとともに関わるまちづくり

一級建築士の資格を持ち、一時はゼネコンで設計の仕事をしていたこともある山家だが、関心は建築そのものより、その建築が立つ場所、つまり都市やまちのほうにあると言う。
「大学院生のころから場所性と人から成る空間というものに関心があったんです。世界にそこだけの場所があり、そこに人がいて、人と人の関係があり、コミュニティがある。つまり、その場所でしか体験できない“空間の力”というものがあるんです。それを都市計画、まちづくりに取り入れていきたいんですね」

横浜市緑区の十日市場にて地域住民とのワークショップを通じて街の魅力を集めた「たからものマップ」。横浜市との協定に基づく取り組みとして実施。

言いかえれば、真っさらにした土地にコンクリートの人工都市を造り出すのではなく、歴史や自然や気候や、あるいは住民の記憶や希望や生活の営みや、そういったものからなる“場所性”を読み解くことからまちづくりを開始すること。それが山家の考える都市計画なのだ。畢竟、実践的研究が主となり、学生たちと一緒にまちに関わりながら、まちが抱える課題を解いていく、そんなまち再生・都市再生のプロジェクトのほうが比重が高くなったという。
「たとえばいまは、横浜市緑区十日市場地区の官学連携の“持続可能な住宅地モデルプロジェクト”や、横浜市南区弘明寺町の空きスペースの活用法を探るプロジェクト、京急川崎沿線のまちづくりなど、さまざまなプロジェクトに関わっています。研究と実践に分ければ、ここしばらくは実践が多くなりますね」

本学横浜キャンパスにほど近い六角橋商店街の「昭和レトロ」をコンセプトとしたリニューアルプロジェクトにも、山家と学生たちが大きく関わった。
「共同研究のお誘いが多くて、文系のいろんな先生と組んで仕事をする機会が多いんです。たとえば、本学アジア研究センターの“アジア社会と水”をテーマにした研究では、三島市の源兵衛川と韓国の水原川を対象に水辺のまちづくりについての報告をしましたし、法学部の先生からは都市間連携の研究を一緒にと声をかけていただき、オランダに赴いて調査をしてきました。そんな具合ですから、工学部の中でも文系寄りかもしれませんね」

Chapter #02持続可能な都市計画とは

いま、都市計画の考え方にパラダイムシフトが起きていると山家は言う。高度経済成長期以降に顕著だった、右肩上がりに無秩序に広がり、増えていくモノをどうコントロールしていくかというそれまでの考え方に対して、“縮退”という言葉に表される、人口が減り、さまざまなモノが失われてスポンジ状になっていく現在の都市に対して何ができるのかという考え方に変わってきたというのだ。
「空いているスペースをどう活用できるだろうかという相談が多くなりましたね。今までとまったく違ったものの見方をしていかないといけない時代になったんですね。建築のあり方も変わってきていて、建物というモノを造るのではなく、コトを仕掛けるような建築を造るという発想になってきています」

ヨーロッパで広がっているコンパクトシティという考え方にも注目する必要があると山家は言う。コンパクトシティでは、「混合(ミックス)」も重要なキーワードで、古い建物も新しい建物も、住居もオフィスも、さまざまな人のさまざまな生活も、多様に混じり合った都市のほうが楽しく、持続可能だと考えられている。

川崎・八丁畷周辺の空間的特徴から構想したアイディア模型。京急電鉄・川崎市との協定に基づく取り組みとして実施。

「十日市場地区の“持続可能な住宅地モデルプロジェクト”にも、このコンパクトシティの考え方を生かせないかと考えています。どうにかして生産的なもの、社会的なもの、生きがいや生活に役に立つものを、郊外住宅地の中に持ち込めないかと思っているんです。たとえばいま都心にコワーキングスペースが増えています。そういったものの変形版はどうだろうかとも思っています。もちろん、ちゃんと経営的に回っていけることも考えなくてはいけませんが」

Chapter #03世界のまちをもっと見たい

そもそも建築の道へと歩み始めたのは、もともと美術やデザインが好きだったこと、そして建築家だった父親の影響が大きいという。
「高校生の時には進路ですごく悩みました。アート系もいいかなとか、医者を目指そうかなとか。父に勧められたわけではないんですが、父の仕事を見ていて、面白そうだなと思って京都工芸繊維大学の住環境学科を選びました」

研究室は広いワークスペースになっており、大勢の学生たちが黙々と作業に取り組んでいる。

都市論にのめり込んでいったのは、東大大学院時代のころのこと。
「当時は“都市から建築を考える”などと、都市と建築がキーワードでした。ちょうどニューヨークでのシンポジウムのための材料を研究室の皆で作らないといけないということがあり、東京中をグルグル回って写真を撮りまくったんですが、それがきっかけとなって都市論への関心が強まっていきました」

このときの教授が京都駅ビルや梅田スカイビルなどで知られる原広司氏(東京大学名誉教授)だった。
「原先生は数学や哲学にも造詣が深い建築家でした。わたしの修士論文をチェックしながら、『これ、現象学なんだよ』とおっしゃったので、そう言われると勉強するしかなくて、ハイデガーの『存在と時間』とかを一生懸命読んだり(笑)。わたしの今の根っこの部分にあるものの見方は、原先生の影響を大きく受けていますね。尊敬してやまない恩師です」

これからチャレンジしたい研究テーマを尋ねると、少し考え込み、「研究者としてではないかもしれませんけれど」と前置きをしてこう答えてくれた。
「愛着のもてるまちについて考えてみたいです。自分の家は快適だけれど、あとは駅とコンビニくらいしか関わりがないまちって寂しいですよね。『ここが自分が育ったまち』だって言えるような、たくさんの思い出が刻まれる余白のような場所があるまちづくりをお手伝いしていきたい。そのためにも、世界のまちをたくさん見てみたいです。フィールドとして都市は面白い。書物ではなく、実際に目の前に現れるものを読み解く、新しい世界が見えてくる、そういう瞬間が楽しくて、単純に好きなんですけどね」

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