2018.11

神大研究者

クリスチャン・ラットクリフ先生

和歌と蹴鞠のエリートが
教えてくれたこと

人間はなぜ文化というものを大事にしてきたのか。
人間にとって詩とは、文学とは、
いったいどんな意味があるのか。
そんな根源的な問いに
中世日本文学の研究から接近すること。
それが自分の仕事であるとラットクリフは言う。

クリスチャン・ラットクリフ 先生

Christian Ratcliff

国際日本学部 国際文化交流学科
中世日本古典文学、中古・中世日本文化史
※2018年11月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01飛鳥井雅有との出会い

飛鳥井雅有。鎌倉時代中期に生きた公家であり、歌人にして蹴鞠の名手、優れた書家でもあった。いわば当時のエリートであり、蹴鞠の伝統を継承する飛鳥井家の三代当主だった男。多くの日本人にとっては名前すら聞いたことがない、そんな飛鳥井雅有という人物を修士課程でレポートのテーマに選んで以来、ラットクリフは彼を通じて「人間と文化・芸術の関係」について深く探索を続けてきた。
「社会が大きく変わるとき、文化の伝統も大きく変わります。修士1年の時に研究テーマを決めなきゃいけなくなって、それじゃ、そういう世間が騒がしかった時代の文学をやろうと考えたんです。平凡な時代より、騒々しい時代に生きていた熱い人が作りだした文学のほうが面白いに決まっていると。アメリカ人だから保守的なものはつまらないという考えもありました。いろいろ調べたあげく、蒙古襲来のころの時代がいいだろうと、発見したのが飛鳥井雅有でした。

『春の深山路』などの雅有の書いた仮名日記には、きっと時代を反映したものが書かれているに違いないと考えていました。いざ読み始めると、ところが、それはまったくの思い違いだったんですね」

当時のいわば政治言語であった漢文による日記なら、元寇の影響などの記述はあっただろう。だが、鎌倉幕府との関係も深かった雅有の仮名日記には、元寇のことなど一切書かれていなかった。どれほど歴史的な事件であっても、それに日本の伝統的な文学を揺り動かす力はないのだろうか。和歌は和歌。世間で何が起ころうが和歌の詠み方が変わるわけはないのだ。そうラットクリフは思ったという。探していたものが見つからなかったという意味では挫折には違いない。だが、むしろ、ここが彼の研究の出発点となったのだった。

Chapter #02出世のための和歌と蹴鞠

アメリカの大学では将来の英文学教授を目指して勉強をしていたという。それがたまたま出会った日本文学に心惹かれ、卒業後に来日してからはいっそうのめり込んでいった。崩し字の読み方も学び、国文学の書誌学的な研究手法もすっかり身につけ、日本文学を一生懸命に読み込んだ。だが、文学作品それ自体への質的な研究という伝統的なアプローチから、ラットクリフのそれは大きく変わっていく。この飛鳥井雅有との出会いをきっかけとして。

「雅有の日記には蹴鞠の話が数多く出てきます。和歌についても同様です。雅有は和歌を愛し、守ろうとしていました。ただ、蹴鞠も和歌も彼の人生のメインではなかった。彼のメインとは、飛鳥井家を守り、宮廷の中で出世していくことでした。そのためには和歌を詠めることが必要だったんです。

こう言うと、芸術としての和歌を雅有は軽んじているとがっかりする人もいるでしょう。とくにルネサンス以後の詩の概念や芸術の概念、あるいは芸術至上主義のような考えを持っている西洋人なら、この雅有の生き方には引いてしまいます。「でも、雅有のころの和歌は、ルネサンス以後の西洋の韻文・散文とまったく違った概念を持っていたのです。雅有をはじめとしたこの時代の人たちにとって歌、詩とはいったいどういう存在だったのか。わたしは雅有を通じてそのことを知りたくなったんです」

それはひいては芸術文化とは人間にとってどんな意味を持ち、どんな役割を果たすのかという、より深い問いかけに近づくことだとラットクリフは言う。

Chapter #03文化資本論というアプローチ

1970年代に北米や英国で始まったカルチュラル・スタディーズ(さまざまな学問分野を横断的に探索しながら文化を分析・研究するもの)という研究手法があるが、ラットクリフは自分の中世日本文学の研究スタイルはこれに近く、さらに文化資本(cultural capital)論という分野に当たると語る。そういった視点から雅有を見るとき、「和歌の芸術的価値そのものよりも、和歌の社会における価値そのもののほうが面白いということを雅有は教えてくれた。現にそのほうが面白い」とラットクリフは言う。

「雅有は違っても、藤原俊成や藤原定家は芸術のために生きたはずと皆さんは思うかもしれませんが、同じです。彼らにとってすら、和歌は芸術としての表現手段だけではなかった。社会・経済的に活躍するために大事なものだったんです。つまり、和歌表現とはそれ自体がいわば一つの言語であり、当時の社会においてはとても重要な役割を持っていた。実はこれは喜ぶべきこと。当時、鎌倉時代中期では歌を詠むことはごく普通のことでした。宮廷社会に参加する権限を示すための一つの条件だったのですね。ひるがえって現代はどうか。社会における文学の価値は低い。歴史上、今が一番低いかもしれない」

雅有の日記には野心の匂いがするという。もしも雅有が現代にタイムスリップしたなら、「オレの時代の和歌や蹴鞠は、この時代では〇〇だな」と見抜いて、わりとすぐに適応するのではないだろうかとラットクリフは言う。〇〇はラップミュージックか?サッカーか?考えてみるのも楽しそうではある。

飛鳥井雅有の私家集『隣女和歌集』の江戸時代後期版本の一巻。苦労はするが、ラットクリフはこういった崩し字を読むことは大事だと思っている。

Chapter #04『源氏物語』は明治以降に文学となった

飛鳥井雅有の研究はまだまだ終わりそうにないとラットクリフは言うが、「『源氏物語』の社会的意味の変遷」という新しいテーマについても最近は考え始めている。

多くの資料が本棚に並ぶが、これは学術誌『国文学 解釈と鑑賞』で、戦後すぐの1946年発行号から年ごとにズラリと並んでいる。

「成立した当時はエンタテインメント性はあったが、『源氏物語』は特別に重要なものではありませんでした。中世になると、主に歌人から平安中期の人の考え方や心を知るための資料となりました。和歌と関係なく、文学作品としてのみ評価されるようになったのは明治以降です。西洋の文学概念が持ち込まれ、では日本の文化の中にそういうものはなかったかと探して見出されたのが『源氏物語』だったのですね。『源氏物語』の中身は変わっていませんが、時代ごとに社会が見出す面白さや価値が変わってきている。そこから人間社会における文学の意味を探っていきたいのですね」

人間はなぜ文化を大事にしてきたのか、そこにどういう価値があるのか。つまり、人間とは何なのか。そういう根源的な問いに向かって、さまざまな領域で多くの研究がなされている。それは巨大な織物を膨大な数の研究者がともに織り上げることに似ているとラットクリフは言う。

「わたしがその織物に貢献できるのは日本の中世の研究を通じてです。飛鳥井雅有も和歌も蹴鞠も、そのための手段にすぎないんですね。その織物が完全な姿になるのは何千年も後かもしれませんが」

そう言ってラットクリフはほほ笑んだ。

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