2017.3

神大研究者

孫 安石 先生

国際都市・上海から
読み解く、グローバル
超大国・中国を支えたもの

東アジア経済圏で、重要な立ち位置を占める中国。
その中国最大の国際都市・上海は、
中国共産党が成立した革命都市であり、
諸外国の租界が置かれた植民都市、欧米人や
日本人を含む、様々な人種が同居する多民族都市―。
上海の歴史をメディアから読み解くことで、
グローバル超大国・中国の“根”が見えてくる。

孫 安石 先生

Son An Suk

外国語学部 中国語学科
中国近代史、上海都市史、東アジア租界史
※2017年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01メディアに刻まれた、「東洋のパリ」の実像

1842年、清朝(中国)とイギリスは南京条約に調印した。イギリスのアヘン貿易をめぐる摩擦に端を発したアヘン戦争は、イギリスによる清朝への最初の侵略戦争だった。

清朝は敗戦し、南京条約によって、広州、福州、厦門(アモイ)、寧波(ニンポー)そして上海が開港され、「租界」が設置された。租界とは、中国の領土でありながら、行政・司法権が欧米列強に属するという、中国に対して非常に不平等な条件で設置された、租借地区だ。欧米列強は中国における政治、経済、軍事活動の拠点として租界を機能させていた。

至誠堂『上海地図』(開新社印刷、1925年)。黄色い部分がフランス租界、ピンクとオレンジ色の部分が主にイギリス、アメリカによる共同租界だ。日本人が多く居住したのは、共同租界の中の虹口という地区であった。

「上海を研究することは、中国、そして東アジアの今を紐解くこと」と話す孫安石は、上海に生まれたさまざまなメディアを研究してきた。
「1840年代以降、上海は中国最大の貿易港を持つ商工業都市へと発展をなし遂げました。それは同時に東アジア経済圏における巨大なメディア産業の誕生でもありました。開港以降、上海には、ビジネスチャンスを求める船と人々が世界中から集まりました。その富を左右したのが、新聞や雑誌など、上海の租界に誕生した各国のメディアによる情報だったのです」

上海にはフランスの租界、そしてイギリス、アメリカなどによる共同租界が設置され、互いが実権を握るために時には協力し、時には激しく対抗した。よく誤解されるのだが、上海には正式には日本租界は設定されなかった。日本がこの租界の運営に本格的に参加することになるのは1930年代以降の上海事変からの話である。

一方で、上海における利権を争う欧米諸国と日本は早い時期から英語とフランス語、日本語による活字メディアを持った。たとえば日本は、早くも1890年には、上海現地で日本語新聞『上海新報』を発行していたのだ。

欧米諸国は莫大な利益を生み出す、上海港の再開発や石油会社の参入、武力衝突などに常に目を光らせ、そこで展開される情報合戦は世界の政治経済の縮図でもあった。当時の各国の租界に誕生したメディアが中国の内政をどのように報じたかを知ることで、その縮図を読み解くこともできるという。
「『The North China Herald』という欧米系の新聞を見ていると、自国の租界の利益を守るためのジャーナリズムが展開されていたことがよく分かります。たとえば同紙が蒋介石率いる国民革命軍が北京の軍閥政府の打倒を目指した軍事行動=“北伐”などを報じた際、その焦点は、国民革命軍の正義や中国の統一などの理想論ではなく、外国人の生命・財産の保護を言明した国民革命軍の蒋介石による声明文に向けられていました」

このような租界という独特の仕組みと不安定な政情の中にも、人々はたくましく日々の暮らしを営んだ。その華やかさは「冒険家の楽園」、「東洋のパリ」とすら呼ばれるほどであり、日本は享楽的で誘惑の多い上海を「魔都」と呼称した。

1920~30年代、上海は中国の金融の中心地となるほどに発展する。ショービジネスが充実し、最新のハリウッド映画が封切られた。そして、世界中の富が集まる上海に住む中国人に向け、新しいライフスタイルを紹介する大衆雑誌が誕生する。1926年創刊の『良友』画報である。
「日本では中国と聞けば真っ先に思い出されるのが中国共産党と革命のイメージです。しかし、老百姓(一般市民の意)の日常は政治に明け暮れ革命に奔走したわけではなく、映画や演劇を観て楽しんだり、夏になればプールへ泳ぎに行ったりと、上海には充実した大衆文化と生活があったのです」
『良友』画報には当時の中国映画を代表する女優が表紙を飾り、ページを繰ればパーマを施術する美容院の紹介に、化粧品の広告、当時は珍しかったスポーツの提案、芸能人のゴシップなどがちりばめられている。
「ラジオ放送も始まり、アメリカで創業したレコードレーベル『コロムビアレコード』に匹敵する、フランスの『パテ』(Pathe)社が上海にレコードの時代を築きます。上海の1920年代は、まさに近代の大衆文化の原風景が広がっていく時代なのです」

Chapter #02進む租界の再評価

きらびやかな上海の繁栄は今も続いている。JETRO(日本貿易振興機構)によれば上海の2015年の域内総生産(GDP)は約2兆5000億元(日本円で約41兆円)にも昇る。

しかし国際都市・上海の繁栄の根幹にあるものこそ、不平等条約である南京条約によって設置された租界だ。それは中国人にとっては屈辱の歴史の象徴でもあった。
「中国において、租界というものは、中国固有の発展を阻害する象徴として考えられてきた。しかし今、中国では歴史解釈のどんでん返しが起きています。近年、租界こそが現在の中国の躍進を生んだのだという再評価が進んでいるのです」

上海は租界という屈辱と引き換えに、歴史の中で国際性の“種”を獲得した。その種は上海の歴史に根を張り、今やグローバル超大国・中国という巨木に成長している。

「誰も未来に先回りして今を生きることはできない。そんな歴史の“妙味”を、上海の過去のメディアは教えてくれるのかもしれません」

孫は韓国に生まれた研究者だ。毛沢東を研究すべく日本の東京大学大学院へ入学する。しかし論文の資料として担当教官に手渡された上海の商人の自伝が人生を変え、上海研究に没頭することになる。

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