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「まずは挑戦」で見つけた道。何が人生の転機になるかは分からない。島津 陽介さん/日本航空株式会社/山梨県出身

「まずは挑戦」で見つけた道。何が人生の転機になるかは分からない。島津 陽介さん/日本航空株式会社/山梨県出身

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自分の一生を左右する進路を決めるのに早いも遅いもない

「職業はパイロット」と言うと、長年の夢をかなえたと思われることが多いのですが、私がパイロットを志したのは大学3年生のときです。それまでは、仕事につながる「好きなこと」があるわけでも、割り切って「自分に向いていること」を考えるわけでもなく、はっきりした目標を持てずに過ごしていました。
履修できる科目の選択肢が多く、自由にカリキュラムが組める経営学部は、そんな私が将来を模索する上で格好の学びの場でした。芸術学やスポーツ・マネジメントの授業など、好奇心の赴くまま幅広く履修し、3年次にはアメリカ・シアトルへ留学。現地の美術館でのインターンシップ体験をきっかけに「英語を使って、好きなことに携われる仕事がしたい」と思うようになりました。帰国後、周囲から少し遅れて就職活動を開始。興味がある分野で英語力を生かせる仕事という基準でエントリーを考えていました。映画配給会社、スポーツメーカー、国際協力機関などのうち、最も試験が早かったのが航空会社である日本航空でした。
驚いたのは、最初の面接時から現役パイロットが登場し、業務について熱く語ってくれたこと。「一つとして同じフライトはない。気象条件もお客さまの状況も毎回違う。自分の知識・経験・能力を総動員し、フライトを完遂するのが使命」と聞いて、パイロットという仕事への興味が膨らんだことを覚えています。「まずは挑戦」と腕試しでエントリーし、専門知識も資格もない自分がパイロットになれるのか最初は半信半疑でしたが、選考が進むうちに「この先輩たちと一緒に働きたい」という気持ちがどんどん強くなり、3次面接の後に慌てて大学の就職課に駆け込みました。
当時は自己分析すら未経験。就職アドバイザーの方に、面接で感じた人や仕事の魅力を興奮しながら報告し、「それを、そのまま伝えてみたら?」とアドバイスされたときは目からウロコが落ちました。航空会社の面接では「幼い頃からパイロットになるのが夢でした」とアピールする学生が採用されるものだと思っていましたし、自分もそう言わなければと考えていたからです。でもそれは誰かの真似で、私自身を伝える言葉ではないんですよね。その後、自分を取り繕うのはやめ、素直な気持ちを伝えようと臨んだ結果、3年次の2月に内定を得ることができました。好奇心のままに何事にも挑む姿勢で取り組んだからこそ、今の仕事に出会えたのだと思います。

「サービスは全員で作るもの」という先輩の言葉を胸に

学生時代は、キャンパスの外にも忘れられない出会いがありました。働く上での心構えを最初に教えてくれたのは、アルバイトをしていた焼肉店の先輩です。フロアスタッフは、お客さまから注文を聞いて厨房に伝え、料理を配膳する、“接客”がメインの仕事。しかし接客は完璧でも、厨房に注文を伝えるときの態度が横柄だと、厨房スタッフの不満につながり、店舗全体の雰囲気も悪くなってしまう。それは、お客さまの居心地にも影響を与えかねません。「サービスは、直接お客さまに接するスタッフだけでなく、全員で作るものなんだよ」という先輩の言葉は、今の職場にも通じると思っています。飛行機の安全・定時運航は当然ながら、旅客や整備の担当者が仕事をしやすいよう、気持ちの良いコミュニケーションを心がけるのもパイロットの役目。スタッフ全員でフライトを作り上げるとき、学生時代の経験が自分の中に息づいていることを感じます。

パイロットを目指す同期との絆が苦境を乗り越える力に

大学卒業と同時に、パイロット訓練生として日本航空へ入社。チェックイン業務などの地上業務実習を数カ月受けた後、航空法や物理学などの座学を皮切りに本格的な訓練が始まりました。緊張の連続でしたが「パイロットになれる」という希望に後押しされ、夢中で吸収する日々でした。アメリカ・ナパでの飛行訓練で感じた、初めて自分の操縦で空を飛んだ瞬間の高揚は今も胸に焼き付いています。
私は順調にパイロットへの階段を上っていくはずでした。しかし突然の訓練中断。経営破綻に伴い、パイロット養成にストップがかかったのです。「環境が整うまで待ってほしい」と言われ、帰国後は地上業務に逆戻り…。「訓練に戻れる日は来るのか」と、不安で押しつぶされそうな毎日。もし一人きりでこの苦境に立たされていたら乗り越えられなかったかもしれません。でも私には、同じ境遇の同期がいてくれました。訓練が再開するまでおよそ5年。つらい時期を共に過ごした仲間とは、かけがえのない絆で結ばれています。
その証しの一つが、現役パイロット有志で結成した「空飛ぶ合唱団」という音楽グループ。仲間に誘われ参加しましたが、搭乗口で歌を披露したことも、お客さまの笑顔に直接触れられたことも貴重な体験でした。これもまた、何にでも関心を持ち挑戦する姿勢と、スタッフ同士の絆がもたらしてくれた喜びです。
副操縦士になって2年10カ月。「異なる状況の中でフライトを組み立て、完遂するのがこの仕事の魅力」という、面接時に聞いた先輩の話がようやく実感できるようになってきました。フライト中に揺れが予想される区域があった場合、そこを避けるのか早く通過するのか、機内サービスを継続するのか中断するのか、状況に合わせて判断しチームで共有する。学生時代から今までの全てが、より良いフライトのための土台になっていると感じます。さらに経験を重ね、機長になることが現在の目標です。
早くからゴールを定めて夢をかなえることも素晴らしいことですが、自分の道を探る時間も決して無駄にはなりません。人生を変えるきっかけはあらゆるところに転がっています。自分はどんな人間になりたいのか、そのために何をすべきなのかはっきりしないときは、挑戦し、行動する中で答えを見つけてください。

※内容はすべて取材当時のものです。

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