2021.3

神大研究者

髙城 玲 先生

タイが文化人類学者に
教えてくれたこと

きっかけはタイの言葉だった。 
やがてタイに魅せられ
若き文化人類学者としてフィールドワークに赴く。
そこでタイが教えてくれたこととは……。

髙城 玲 先生

Ryo Takagi

経営学部 国際経営学科
文化人類学、東南アジア(タイ)研究
※2021年3月発刊時の取材内容を掲載しております。

Chapter #01文化人類学の対象は「未開」の地だけではない

文化人類学と聞けば、どこか遠く「未開」の地に赴いて調査研究をし、民族誌を書き上げるといったイメージを多くの人が抱くのではないだろうか。だが、髙城によれば、そのイメージは大きく変化していると、こう語る。
「最先端の現代技術と人間との関係も人類学の対象になりえます。グローバル化やネオリベラリズムなど、現代社会に特徴的な政治や経済を対象とした人類学も注目を集めています。『未開』社会であろうと、現代社会であろうと、人間と社会とモノがどのように関係しているのかについて、いろいろな分野を関連付けながら、具体的な対象に接する現場から、考えていく。そういう広いパースペクティブの中で経験的に探求を深めることが人類学の魅力だと思います」

文献などの資料だけではなく、現場(フィールド)で見たこと、感じたことも根拠となるデータとして使っていく。そうやってできあがったものは、個の経験的視点を通した多面的、重層的な重要性を持つと髙城は言う。
そんな髙城にとっての「現場(フィールド)」とは、主に東南アジアのタイであり、その出会いは東京外語大の学生時代にさかのぼる。

「ちょうどバブル期のころで、東南アジアに日本企業が多く進出していたことから、タイ語を勉強すれば就職に有利だろうという、『よこしま』な理由もあってタイ語を選んだんです」と髙城は笑う。
ところが春休みに友人とタイに旅をしたことが、髙城の「よこしま」な気持ちを大きく変えた。

「新鮮でした。特に日本の田舎育ちの私にとって、世界が一気に広がりました。タイの言葉だけでなく、文化や政治経済も学びたいと思うようになり、やがて研究の世界に入ろうと無謀にも考えるようになったんです」
指導教官が厳しかったせいか、ゼミの学生は実質、髙城一人だったという。
「論文をちょっと粗く翻訳して提出したら、先生に『きみはこの著者をバカにしているのか。彼らは自らを賭けて、これだけのことを書いているのだ』と突っ返されたことがありました。そこで言われたのは、タイを鏡として自分を見るのだと。タイを軸として、そこから自分を立ち上げるのだということでした」
言いかえれば、タイを研究することは、自分自身を知ることにつながっていくのだと。髙城は、そんな環境の中で、タイにどんどん魅せられていった。

Chapter #02忘れられないタイでのフィールドワーク

初めての長期のフィールドワークは大学院の博士課程、二十代半ばのとき。文科省のアジア諸国等派遣留学生としてチェンマイ大学の社会研究所に籍を置くかたちで、チェンマイとバンコクの中間に位置するナコンサワン県の小さな村に暮らし、2年を費やした。
タイの人類学といえば山地の少数民族を対象にする研究者も多かったが、髙城が調査地に選んだのは平地にある普通の小さな農村である。髙城は村の日常のさまざまな行為や儀礼の中から、いかにして権力の構造、力の秩序が生まれていくのかを、現場からこまやかに描き出そうとしたのだった。

「当時は、非合法な蓄財なども介して地方の有力者が政治家となり、国政にも入っていくということが起きていました。そのようなことがいかにして生じるのか、以前から関心を持って調べていました。そのため、実際にタイの農村で、日々のどういう行為によって、ある人物が他の人と差異化されて権力が生まれていくのか細かく描こうと考えたんです」

タイに入ってからは、まず1カ月ほどかけて多くの村々を回り、どの村を対象にするかを調べた。最終的に一つの村を選び、拠点となる現地の家庭を見つけ出す。
「いわば居候としてお世話になるわけですが、朝昼晩の食事にフルーツ、おやつまでいただいて、しかも食事は私の口にとても合ったので、人生で MAXの体重になりました」と髙城は笑うが、もちろん、日々のフィールドワークはときに苛酷であり、「疲れ切ってしまって、不安を感じる余裕もない時期もあった」という。
調査はまず詳細な村の地図作りから始まり、村の現状を調べ上げる。さらに、経験したこともない農作業を手伝ったり、儀礼があれば参加するなど、村に溶け込むことに2~3カ月をかけた。そして村人の信頼を得てはじめて、専門的な調査がはじまる。髙城は自分のことを話し下手で、コミュニケーションに苦手意識があるというが、それでも共に過ごす時間をかけることで多くの人から話が聞けた。選挙運動期間中の饗応などの実態も詳細に記録した。

「できる限り多くの場所に身を置いて、ビデオカメラでもこまかく撮影して記録しました。ビデオ映像から誰がどういう発話や行為をしたのか、演劇の台本のように書き出して、そこから分析を重ねていったんです」

髙城のフィールドノート。ビデオを回せず、メモも取れないときは帰宅後、「居候」先の蚊帳の中でひたすら記憶をたどってフィールドノートに書きとめていったという。

Chapter #03秩序や権力は細部に宿る

髙城は「ミクロロジー」という言葉を著書のタイトルに使った。辞書での意味は「ミクロ生態学、ミクロ分析」であるが、髙城は「秩序や権力は細部に宿る」という視点の謂いとして用い、こんな一例をあげる。
「私がいたタイの村の村長はいつもズボンのベルトにトランシーバーをはさんでいて、歩きながらそれで連絡を取っていました。村人にとっては、トランシーバーを耳に当てている人がいたらそれは村長だという認識が生まれる。つまり、トランシーバーという、いわばミクロなモノを介したささいな行為によってある人物が差異化され、権力が顕在化されるようになるんです」

ミクロな日常の行為が社会を創り出していく。その都度のメカニズムを記述し明らかにするのが髙城の主眼であり、それがミクロロジーなのだ。
神奈川大学に赴任後も、タイを中心に調査地を拡げながら、「行為と権力」を主たる問題対象として多彩な調査研究を続ける。この数年は、タイの不安定な政治状況のもと、農村部がこの政治的分断をどのように生きているのかを、現地に入りながら、地方からの視点で見ていくことに力を注いでいる。

「タイ北部のチェンマイでは、辺境の農村にもさまざまなコミュニティラジオ局が開設され、それらが政治的な立場を持って活動を行ってきました。こうしたラジオ局には一般の住民や農民たちも多く関わっています。ラジオ局に集まる人々が、ラジオの声を介して、分断の中でどのようにコミュニティの運動を創り出していくのか、その有り様を地方末端の村を中心として具体的に描いていきたい。現代の混沌とする政治・社会を下方の現場からも見返していくということをしたいんです」

現場にこだわる研究者としてのいまの自分があるのは、タイでのあの2 年間のフィールドワークのおかげだと髙城はいう。「日本にいたままだったら気づかなかっただろう、世界にはまったく違う生活があり、まったく違う視点がありえるのだということを身をもって知ることができました。自分のいる世界が唯一無二の正しい世界じゃないんだということを」
その2年間を髙城が「かけがえのない思い出」と呼ぶ理由がここにある。

髙城の著書『秩序のミクロロジー──タイ農村における相互行為の民族誌』

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