
今年は、1969年7月20日に達成されたNASAによる人類初の月面着陸の偉業から、ちょうど50周年目にあたります。また来年は、世界で4例目である日本初の人工衛星「おおすみ」が打上げられてから同じく50周年目になります。これらの宇宙開発が辿ってきた流れは、国が主体となって進められてきましたが、昨今の民間ベンチャー企業の活躍で、新しい歴史の扉が開かれつつあります。また、2019年4月10日に史上初めてブラックホールの撮影に成功したと発表されましたが、これは地球上の8つの電波望遠鏡を結合させた国際協力プロジェクトによる努力の賜として知られています。今回の展示では、人類が星々を見上げ神話の世界観を抱いたときから、宇宙を意識し探査するまでの秘められた夢と挑戦の歴史を様々な視点から紹介していきます。
展示期間 |
7月13日~9月18日 |
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会場 |
神奈川大学図書館1階展示コーナー |
お問合せ |
神奈川大学工学部 宇宙エレベータープロジェクト(江上研究室) |
電話番号 |
045-481-5661(代) |
解説
ビッグバン
「宇宙は原始的原子の“爆発”から始まった」と言われ、後に「ビッグバン理論」と呼ばれる説が1927年に天文学者ジョルジュ・ルメートルによって発表されました。ルメートルはこの説を発表する前に、「20世紀最高の物理学者」と評されたアルベルト・アインシュタインの一般相対性理論を基に、膨張宇宙論を提唱していました。しかし、20世紀初頭では、アインシュタインでさえ、理論の数学的な正しさについては認めつつも、ほとんどの天文学者と同様にこの理論を否定し、宇宙は定常的なものだと考えていました。
一方、1964年に高温高密度の宇宙がかつて存在していたことの痕跡となる宇宙マイクロ波背景放射の発見やビッグバン理論を高い精度で支持する観測結果が得られるようになり、膨張宇宙論を支持する研究者が増えていきました。
現在では、NASAのハッブル宇宙望遠鏡、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)のプランク衛星(参照1)、またJAXAの「あかり」といった人工衛星からの観測データにより、宇宙論が目覚ましく発展しつつあります。その成果として、宇宙論研究の基本である宇宙年齢が138億年であることや宇宙での物質の存在比がバリオン(銀河、惑星、人間の身体など、私たちの目に見える普通の物質)5%、ダークマター27%、ダークエネルギー68%であることが知られるようになりました。
ブラックホール

今年4月、史上初となるブラックホールの撮影に成功したというニュースを耳にした人も多いと思います。このブラックホールの理論的可能性について初めて語られたのは、「ブラックホール」という名前こそなかったものの、光さえも逃れられないほど重い星があることは、18世紀の終わりにイギリスのジョン・ミッチェルとフランスのピエールシモン・ラプラスによって指摘されました。現代的なブラックホール理論は、アルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論の発表後の1915年に、カール・シュヴァルツシルトが特殊解として導いたことから始まりました。
現在では、多くの銀河の中心に超巨大ブラックホールが発見され、私達の太陽系を含む「天の川銀河」の中心にも、太陽の400万倍もの質量を持つブラックホールがあることが判明しました。(参照2)
天体観測
フランスのラスコー洞窟壁画には、おうし座のプレアデス星団(すばる)を記したと思われる絵が描かれています。(参照3)これは、1万年以上前の天体観測の最古の痕跡かもしれません。
望遠鏡を用いた天体観測は、1608年にオランダで望遠鏡が発明され、翌年1609年にガリレオ・ガリレイによって行われたのが始まりです。太陽黒点の再発見、木星の4衛星・土星の環、天の川の正体等の発見がなされました。また、1609年からわずか4年後には、日本にも望遠鏡が輸入され、伊能忠敬の測量でも望遠鏡が使われました。しかし、天体観測は江戸時代後期の鉄砲鍛冶、「東洋のエジソン」とも呼ばれた国友一貫斎によって初めて行われました。イギリス製のグレゴリー式反射望遠鏡を参考にして、天体望遠鏡を自作し、木星の縞模様や土星の輪、太陽の黒点などを観測しました。(参照4)

現在の大望遠鏡による天文観測は、1999年にすばる望遠鏡が完成したことから本格的にスタートしました。上記のブラックホールの撮影は、地球上の8つの電波望遠鏡を結合させ、圧倒的な感度と解像度を持つ地球サイズの仮想的な望遠鏡を作り上げ、撮影を実現させました。(参照5)
また、地上からの観測に限らず、人工衛星からの観測も行われています。1980年代から90年代にかけて数多くの天文観測衛星が打ち上げられました。1990年代以降になると、高い分解能かつ様々な波長帯で観測頻度も高い観測を可能にしたNASAのスピッツァ宇宙望遠鏡などの天文観測衛星が多く打ち上がり、可視光だけではなく、X線・ガンマ線、赤外線・紫外線による観測が行われています。
アルマ望遠鏡(模型展示:国立天文台の協力)
アルマ望遠鏡は電波望遠鏡の一種で、正式にはアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計と呼ばれ、66台のパラボラアンテナを連動して干渉計の技術で観測する巨大電波望遠鏡です。南米チリの標高約5000mにあるアタカマ砂漠に建設され、日本・台湾・韓国の東アジア・アメリカとカナダからなる北米、欧州南天天文台で構成する16の国と建設地のチリ共和国の協力で運用され、日本は全体のおよそ4分の1に貢献をしています。ブラックホールの撮影で有名になりましたが、宇宙空間の恒星の材料となるガスや塵の検出やアミノ酸などの有機分子の探索でも活用されています。
今回、国立天文台よりアルマ望遠鏡を構成しているパラボラアンテナの模型と、その実際のアンテナパネルの一部をお借りして展示しています。
このアルマ望遠鏡で得られた深宇宙の画像や研究成果は国立天文台のサイトでご覧になれます。(参照6)
国産ロケット

日本のロケット開発は、第二次世界大戦後に東京大学の糸川英夫がペンシルロケットを開発したところから始まりました。戦後GHQによって日本の航空機・宇宙機の研究の一切が制限されてしまいましたが、サンフランシスコ平和条約締結による条約改正によってロケット開発は可能になり、1955年には国分寺市で長さ23cm、直径1.8cmほどのペンシルロケットによる水平発射実験が実施されました。その8年後には航空宇宙技術研究所が設立され、1970年にL-4Sロケットによる日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げを成功させました。
最近では国家主導ではなく、民間主導でもロケット開発が進められています。北海道を拠点として開発を行っているインターステラテクノロジズ株式会社は、 2013年に宇宙機エンジニア、科学ジャーナリスト、作家らが集まり設立され、翌年には、高度100kmを目指した観測ロケットの開発を開始しました。今年5月に民間企業として初めて高度100km以上の宇宙空間にロケットを到達させ、7月13日には2機目を打ち上げる予定です。(参照7)
宇宙服
宇宙飛行士が宇宙船の外に出て活動する際に着用する宇宙服は、生命維持装置を備えた気密服になっており、「小型な宇宙船」と言われるほど複雑な構造です。現在、NASAが使用している宇宙服は、ILC Dover社(参照8)で製造されています。この親会社は、もともと女性用下着を製造しており、その後ゴムボート、水筒などの軍用品生地、アメリカ空軍用に高圧服とヘルメットの製造を行っていました。そういったなかでゴム素材を手縫いで正確に縫い合わす技術、また加圧服の柔軟性に優れた関節をデザインする専門性が評価され、月面探査を目指したアポロ計画で使用する宇宙服開発にたずさわることになりました。当初は、宇宙飛行士毎にサイズを合わせて製造していました が、現在使用されている宇宙服は、再利用できるように腕や脚、ブーツなどのパーツを作り、それらを組み合わせて着用しています。
宇宙服は、全14のレイヤー(参照9)から構成されています。宇宙服は気密のため、宇宙飛行士自身の体温で宇宙服内部が非常に暑くなってしまいます。そのため、ナイロンやスパンデックスの生地にチューブを巻き付けた冷却下着に約5リットルの低温水を流して宇宙服の中を冷やすことが必要です。また、気密を維持しながら膨らみを抑える役目のポリウレタンでコートされたナイロンやダクロン、宇宙服に穴があくのを防ぐために耐熱、防護素材としてネオプレーンでコートされたナイロンやアルミ蒸着マイラーを重ねています。一番外側の層では、万が一、地球の周りに存在する非常に細かい宇宙ゴミ(宇宙デブリ)と呼ばれる人工物にあたってしまった場合に、宇宙服に穴があくのを防ぐ高い耐刃性が求められます。そのため、同じ重さの鋼鉄と比べて5倍の強度を持つ素材「ケブラー」やゴアテックスとノーメックスを使っています。これらの素材で作られている宇宙服は約120㎏という重さになりますが、無重力環境では、着用するのに重すぎるという問題はありません。しかし、重力が存在する月面や火星での着用には重すぎて不向きなため、NASAでは、新たに宇宙服の軽量化などの研究が進められています。 (参照10)

宇宙食
宇宙食開発の歴史は、人類初の宇宙飛行を行った旧ソ連から始まりました。当時の宇宙食の形態は、無重力状態でも食べ物を飲み込むことができるか分からなかったため、ひと口サイズの固形食やチューブ状の容器に詰めたクリーム状、ゼリー状のものでした。国際宇宙ステーションで半年以上にわたる長期滞在が行われるようになると、宇宙食はエネルギー補給という目的以外に微無重力環境で生じる骨のカルシウム消失を補うなどの機能性食品としての役割を担うようになりました。現在では、メニューは約300種類(参照11)以上に増え、さらに種類を豊富にするための取り組みがなされています。
また、今後予定されている火星探査に向けて、貯蔵スペースが限られている宇宙機での長期飛行でも、少ないボリュームで充分な栄養を補給できる新たなエナジーバーの形態をした宇宙食の開発が進められています。(参照12)
宇宙エレベーター
宇宙エレベーターという言葉が生まれたのは、1903年ロシア帝国のロケット研究者でSF作家としても活躍したコンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーの代表的な論文『反作用利用装置による宇宙探検』からでした。また、今年1月に亡くなった工学者ユーリ・アルツターノフによって、1960年に静止軌道からケーブルを伸ばして地上と結ぶというアイデアを提案されました。(参照13) その後、1979年にSF作家アーサー・チャールズ・クラークが発表したSF小説「楽園の泉」のなかで、宇宙エレベーターが登場し、その建築方法や運用方法が語られました。しかし、この時点では、宇宙エレベーターは、非現実的で机上の空論に過ぎませんでした。
しかし、1991年になり、学術雑誌Natureに飯島澄男によって発表された素材「カーボンナノチューブ」の発明により、この空論に現実味が出てきました。この素材が宇宙エレベーターの技術的課題である、軽量で高強度な素材として利用できると考えられたのです。2000年にはNASAの助成によりロスアラモス国立研究所が宇宙エレベーターの理論的な成立性について詳細な検討(参照14)が行われ、その後、本格的な学術研究を行われるようになりました。アメリカでは2003年にはSpaceward Foundationが設立され、賞金を懸けたクライマ競技が2005年から2009年にかけて実施されました。また、日本でも、宇宙エレベーター協会が設立され、2009年から宇宙エレベーター技術競技会(現:宇宙エレベーターチャレンジ)が実施され、神奈川大学江上研究室もプレイヤーとして参加しました。さらに2014年にInternational Academy of Astronautics(IAA)で宇宙エレベーター常任委員会が設置され、宇宙エレベーターの実現に向けた検討を国際協力で行う動きも出てきました。
宇宙エレベータープロジェクトの紹介
宇宙エレベーターは地上と宇宙空間を結ぶ簡便な輸送機関として近年注目され、国際的に研究されています。神奈川大学でも工学部の江上研究室を中心に、宇宙エレベータープロジェクト(サークル)が活発に研究開発や基礎技術の確立などを行っています。(参照15)
展示協力
- 国立天文台アルマプロジェクト
https://www.nao.ac.jp/research/project/alma.html - インターステラテクノロジズ株式会社
http://www.istellartech.com/
参照
(参照1)ESA:XMM-Newton finds missing intergalactic material
http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/XMM-Newton_finds_missing_intergalactic_material
(参照2)大栗 博司 『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』幻冬舎
(参照3)“Ice Age star map discovered” BBC News, 9 August, 2000,
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/871930.stm
(参照4)「国友一貫斎の反射望遠鏡」歴史的望遠鏡バーチャル博物館
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/~tomita/vmuseum/kunitomo/kunitomo.html
(参照5)(プレスキット)「史上初、ブラックホールの撮影に成功」国立天文台
(参照6)アルマ望遠鏡とは(国立天文台)
https://alma-telescope.jp/about
https://www.nao.ac.jp/research/telescope/alma.html
(参照7)インターステラテクノロジズ株式会社
http://www.istellartech.com/
(参照8)LAURA MALLONEE “PEEK INSIDE ILC DOVER, THE COMPANY THAT MAKES NASA'S SPACE SUITS” WIRED.com
https://www.wired.com/2015/12/christopher-leaman-ilc-dover/
(参照9)第4回文化ファッション大学院大学ファッションウィーク (BFGU FW2012) シンポジウム議事録
(参照10)“The Next Generation of Suit Technologies”NASA
https://www.nasa.gov/feature/the-next-generation-of-suit-technologies
(参照11)「味わい豊かな宇宙食、ISSで食べるサバの味噌煮」財経新聞(2019年1月31日 )
https://www.zaikei.co.jp/article/20190131/491985.html
(参照12)“Space Food Bars Will Keep Orion Weight Off and Crew Weight On”NASA
https://www.nasa.gov/feature/space-food-bars-will-keep-orion-weight-off-and-crew-weight-on
(参照13)Artsutanov, Y.: original is in Russian, “V kosmos na elektrovoze” “Into the Cosmos With an Electric Locomotive,” Komsomolskaya Pravda, July 31, 1960.
(参照14)Edwards,B. C.; The Space Elevator, NIAC Phase II Final Report(http://www.niac.usra.edu/files/studies/final_report/521Edwards.pdf#search='The+Space+Elevator%2C+NIAC+Phase+II+Final+Report'), 2003.
(参照15)神奈川大学 宇宙エレベータープロジェクト
http://space-ev.kanagawa-u.ac.jp/