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就職活動も、仕事も。相手の立場に立って考えると答えが見えてきた。久保田慎太郎さん/東日本旅客鉄道株式会社/静岡県出身

就職活動も、仕事も。相手の立場に立って考えると答えが見えてきた。久保田慎太郎さん/東日本旅客鉄道株式会社/静岡県出身

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経済政策ゼミで気付かされた将来への道すじ

静岡県の小さな町に住む野球少年だった私は、漠然と外の世界に憧れ、さまざまな経験を積んで自分の世界をもっと広げたいと思っていました。大学選びをする中で神奈川大学を知り、「全国から学生が集まるこの大学なら、育った環境も専攻分野も異なる多くの仲間から刺激を受けて成長できるはず」と進学を決意。期待を持って学生生活をスタートしました。
将来の仕事について意識し始めたのは、清水俊裕先生の経済政策ゼミがきっかけでした。研究テーマは「東日本大震災と都市機能の移転について」。チームを組んで「同規模の地震が首都圏で起こったらどうなるのか?」「経済政策の観点から考えると首都移転は有効か?」「復興支援はいかに進めるべきか?」と意見を交わすうちに、自分の中で都市インフラについての興味が膨らんでいきました。それで、生活や産業を成り立たせるために必要不可欠な「鉄道」の会社で働きたいと考えるようになったのです。

「熱意だけで通用するほど甘くない」と自分を見つめ直す

3年次の12月。就職活動を始めた当初は、大企業を受けることに対して心の中でブレーキをかけていました。規模や業務領域がコンパクトな会社の方が、若いうちから積極的に業務を任せてもらえるのではないかと考えていたからです。でも、それは私の思い込みでした。企業が裁量権のある仕事を若い人材に任せるかどうかは、会社規模とは関係ありません。それに気付かせてくれたのは、就職課主催のイベント「卒業生と話そう」で出会った、2人の先輩でした。
一人目は、誰もが社名を知る商社で活躍する卒業生。精力的に仕事を続けてきたその方は、ちょうど念願かなって海外赴任が決まったところでした。この出会いは「大企業にも自らの力で挑戦できる環境はある。その方がむしろ、海外展開などスケールの桁が違うプロジェクトに参加できる可能性が広がる」という発見を私に与えてくれました。
二人目は、当社の千葉支社に勤務する卒業生です。この方もまた、海外プロジェクトへの参加が決まっていました。世界規模で都市のインフラ整備を担う、それこそ私が目指す仕事でした。意外だったのは、その先輩は長年海外業務に携わっていたわけではなく、車掌、運転士として経験を積んでいたことです。私の目標を打ち明けると、「JRという会社は幅広い事業を展開しているから、入社して経験を積みながら挑戦したいことを見つけるのも面白いよ」とのアドバイスを頂き、ハッとしました。大勢の人と切磋琢磨して成長したいと神大を選んだのに、会社の規模に尻込みをして挑戦を諦めるなんて本末転倒ではないか。自分がどこまでできるか試してみたい—と、気持ちが奮い立ち「JR東日本」を第一志望に決めました。
しかし、内定獲得までの道のりは実に厳しいものでした。鉄道会社を中心におよそ100社にエントリーしましたが、次の選考に進めたのはたった30社。社会人として働くための最初のステップがこんなに厳しいとは。改めて、自身の強み・弱みや、働くことに真剣に向き合い、応募書類を見直しました。それまでの私は自分の経験したエピソードをただ並べているだけで、「それをどう仕事に生かせると思いますか?」と問われると「根性で頑張ります」としか答えられませんでした。どんな経験をしたかではなく、その経験によって自分が何を得たのか、そしてそれを会社のためにどう生かせるかを、説得力をもって伝えられるようになろう。そう準備を整えて面接に臨んだ結果、内定を得ることができました。

鉄道インフラへの思いを胸に初志貫徹で挑戦を続けていきたい

入社して最初に配属されたのは熱海駅のホーム担当です。「時刻表通りの運行こそが自分の任務」と意気込んでいたのですが、熱海駅は観光の拠点。実際は想像以上に接客業務が多く戸惑うばかり。安全確認業務の最中にお客さまに声をかけられ、余裕のなさから思いやりに欠ける応対をして、上司に叱責されたこともあります。そんな私を変えたのは、台風接近による運転見合わせでごった返す中、お客さまから頂いた「ありがとう、駅員さんは頼りになるね」という一言でした。ただ、待合所にご案内しただけだったのに。心が通った瞬間でした。
旅先では私たち駅員とのやり取りも、そのまま思い出の1ページとなります。この出来事があってから、自分たちはただ「電車」を動かしているのではなく、それぞれの想いや事情を抱えた「人」を乗せて運んでいるのだ、ということを強く意識するようになりました。
現在は車掌として南武線に乗務していますが、これから運転士になるための訓練も始まります。運転士は、技術一つでお客さまの命を預かる責任重大な仕事。駅員、車掌、そして運転士と、複数の視点から鉄道の仕事を見つめたことで、輸送にかける思いはより強くなりました。
当社には、社員一人ひとりのアイデアを事業の改善につなげる「マイ プロジェクト」という取り組みがあります。私は現在、事故による遅延などが起きた際のお客さまへのご案内方法を見直し、混乱を回避するサービス向上プロジェクトを推進しています。自ら発案し、13人のチームで進めるこのプロジェクトは、「接客輸送」の重要性を実感した私の集大成であるとともに、今後の展開が期待されるSuicaのビッグデータを活用した鉄道インフラの未来づくりへの第一歩でもあります。手を挙げれば、やりたいことに挑戦できる。そんな環境の中で、「多くのことにチャレンジして成長し続けたい」という夢を貫いていきたいと考えています。

※内容はすべて取材当時のものです。

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